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メディアリテラシーと情報発信 [雑感・話題]

 先日「メディアリテラシー」にかかる講演を聴いた。演者は元朝日テレビの職員で、現在慶應義塾大学講師をしている渡辺真由子さん、その肩書きは「メディア・ジャーナリスト」とある。彼女がテレビ局に勤めていたころ、あるいじめ自殺事件があり、「真相報道こそ、私のmission」という、マスコミ界によくある一方的な観念に駆り立てられいろいろ取材し、いじめ自殺に関する報道をまとめて賞を受ける。その一方でマスコミ報道のありかたがこれでいいのだろうか?という思いが高まり、テレビ局を辞職した。いじめ自殺事件報道の取材者として働くうち報道を被取材者から見たらどうなのかと考え始めていた。一部は報道を利用しようとする人もいるが、多くはmedia側の意図と被取材者の気持ちに隔たりがあり、media側の数が多くなる現象すなわちメディア・スクラムに遭い更なる被害を蒙るという。その後カナダの大学でmedia literacyについて学んだ。その後はマスメディアの内部事情を知るものとして、メディアとその他大勢のあり方について問うプログラムなどを世に問うようになってきた。
 講演の内容は、大学の講演でもなく、おそらくメディア論の入門編を考えたのであろう、ごく一般的な内容であった。すなわちメディア報道には目的がある。欧州でメディアが生まれた背景は無知な人民に事実・教養を与える(啓蒙する)ことにより、社会のあり方を変え、より文明的社会を作ろうとする力が働いたのが始まりだということであった。それゆえに人々を照らすことを暗示する太陽が新聞の名前につく傾向が世界的にあるという。日本の四大新聞にも朝日・毎日があるが、sun-*という新聞も多いらしい。啓蒙する為には情報に対する住民の信頼を得る必要があることからmediaは客観報道という事に傾注し、情報の客観性を喧伝する。下手をすると住民もmediaの情報を盲目的に信用する。
 しかしながら彼女はmediaにはイデオロギーがあり、報道の姿勢も各社で異なる事を改めて表明、こういった違いは新聞では社説に如実に現れる事からそれを読み比べる事をすすめた。mediaにとってのnews valueは国・企業・犯罪など意見や対立の明らかなもの、受けての迎合を得る為の生活密着ネタ、想定外の出来事(テロ・事故など)、暗い話題などが重要視され、それぞれをそれぞれのイデオロギーで味付けする。時に権威者たる専門家の発言を引き出し物の見方の流れを作りその見方を常識化しようとする。しかもこの権威者というのが自らのイデオロギーに見合った発言をする権威者を多数の権威者から抽出したものであるという。つまりmediaは社説だけなら勝手な言い分だろと民衆に思われるところを権威者に代弁させて自らのイデオロギーに住民を染めているという事だ。テレビなどでいつも出てくる専門家はmediaの代弁者という事になるかもしれない。政府の審議会にいつも顔が出る専門家という人もいる。彼らは真に専門的であるひとと、審議会の方向に迎合する方向の研究をして余に出る目的の専門家、俗に言うお抱え専門家という人がいる。
 私たちはmediaとどう付き合えばいいのか。演者は一歩ひいて俯瞰的に眺める事を勧めた。インターネットが普及して出典も、発信者もよくわからないデータも飛び交う現代、情報を処理する為に「客観的に」情報を処理する事の必要性が以前にもまして高まってきていると考えたほうがよさそうだ。たとえば選挙を前にすれば、怪情報と言ってもいいようなものも流れる。非のないところに煙は出ないといわれるように、怪情報もある部分当を得たものもあるが、その情報を強調、面白おかしくする為の操作が行なわれている事が多い。情報発信は住民の啓蒙を目的に始まったが、現代は盲目的信用をそれでいいのか啓蒙する必要性があるともいえる。
 彼女のメディア・ジャーナリストとしての始点はいじめ自殺事件報道にある、しかし彼女はmedia側の人間である。彼女を取材側に駆り立てたものは「取材・報道によって同様事例の再発を防ぐ為」であるといっていた。しかしどうなのだろうか、私にはこのmissionの意義付けは若干驕りに聞こえる。本来的には事件の真実を掴み再発に生かすべきは、警察や司法のはずであり、ある意味mediaはお邪魔虫の部分があるように思う。完全にお邪魔虫と言い切れないのは警察・司法が再発予防といった目的に沿った仕事をしてきてないことにもある。こういった事件におけるmediaの役割は現在のようなものでなく、警察・司法の判断に対する検証であるべきだと思うが、残念な事に読者迎合的な刹那的な事象の報道であったり、警察発表にもとづく過剰な色付けであったりするし、警察もリップサービスとして小出しに情報をleakする。New york timesの没落に見られるように既存のmedia構造の大変化がありうると事も考えると、警察などの持つ機関はその発信を報道にのみ頼り、半ば馴れ合い構造に陥るのを避けるためにも、自らが情報発信力を高めていく必要があるように思う。これは行政機関などにも当てはまると考える。
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