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乱れる日本語2  片仮名偏重の福祉研修レジメから [雑感・話題]

 今回は片仮名使用が不快なほど目立つ福祉研修資料をとりあげる。障害者福祉及び障害者自立支援法に関する研修のレジメを用いる。レジメの内容を吟味する気は無いので気になる表現の見抜きだしてみる。

◎A国連障害者権利条約
障害(ディスアビリティ)のある人には、・・・・・・・長期の身体的、精神的、知的又は感覚的な機能障害(インペアメント)のある人を含む。
◎B19条 自律(自立)した生活及び地域社会へのインクルージョン
・・・・・・地域社会への障害のある人の完全なインクルージョン及び参加を容易にする為の効果的・・・・・・・・
◎C必要な在宅サービス、居住サービスその他の社会支援サービス(パーソナル・アシスタンスを含む)にアクセス
◎D経済的自立即ちタックスペイヤーになること
◎Fソーシャル・アクションにつなげる
◎Gノーマライゼーションの原理
一日のノーマルなリズム
一週間のノーマルなリズム
一年間のノーマルなリズム
一生のノーマルな経験
ノーマルな経済水準
ノーマルな場所にノーマルな規模で・・・・
◎H狭い視野でタコツボに陥る

◎Aから◎Hまでそのレジメで用いられた表現である。◎Aのディスアビリティ、インペアメントはその前に翻訳語を設けているのにさらに“擬音”片仮名翻訳語を加えている、全く無意味な表現である。加えるとすると障害、機能障害は何の訳語であるかを示すdisability,impairmentを加えるべきで片仮名語を加えると言うのは文章の書き方を心得てないとしか言いようがない。さらにこの表現は「障害」と簡単に表現してしまうといろいろな意味に取りかねない危険性を回避する為に器官・機能の障害と、器官・機能の障害の有無に関わらずある一定の能力の障害に分けて考える為に皆が頭を絞って考えた言葉であるにも拘らず一方で機能障害と訳しながら、一方で漠然とした障害と表現するあたり、歴史的な経過を無視していると言わざるを得ない。
◎Bから◎Fまでは訳語はつけてないが、“擬音”片仮名翻訳語を用いている部分である。定義ははっきり出来ないもののカステラや、ビロード、テニス、コップなど日本語として固定した言葉以外にこの片仮名翻訳語を用いる際、書き手は適した意訳翻訳語はないのか真剣に考えるべきで何も考えずに“擬音”片仮名翻訳語を用いるべきではない。そうでなければそのままinclusion, personal assistance, tax payer, social actionと書くべきである。インクルージョンなどは参加とか一員化とか何とでも訳せるであろうし、あとも個別援助、納税者・税納付者、社会的活動と訳して何の不都合があろうか?全く理解できない。
◎Gのノーマライゼーションについては“擬音”片仮名語が好きというか、翻訳に関して努力を払う気のない行政・福祉職がおそらく既に固定した日本語としてしまっていると思われるのでAからFほどノーマライゼーションと書く事を非難しようとは思わない。ただ----rizationという英単語はひとにより-----リゼーションとかいたり -----ライゼーションと書いたりすることがあることを理解しておくべきかと思う。例えばmotorizationはモータライゼーションと書く人は少ないであろう。同じ事を書いても-----リゼーションとなったり -----ライゼーションとなるのは余り望ましくないと思うのだが。そういった事を避ける意味でも安易な“擬音”片仮名語を用いるよりnormalizationと書いたほうがいいと思う。ノーマライゼーションにひきづられるように、とてもしつこくノーマルな・・・・・と言った表現が続く。これ等は下手な日本語の最たるものでしっかりとした訳語を用いるべきである。
◎Hはある意味番外編である。下手な日本語が他の形でも出た結果である。いずれにしても比喩・隠喩法であるがここで用いるべきは普通なら“袋小路に陥る”であると思う。確かにタコツボもなんとなく理解できるが、用いるべきではないのではないか。ためしに広辞苑(電子辞書版)を引いてみた。①蛸をとらえるのに用いる用いる素焼きの壷、②縦に深く掘った一人用の塹壕とある。少なくとも袋小路のような抽象的な意味はない。やはり日本語を知らない人間の書いた文章としか思えない。

このレジメは福祉形の学生の書いたものではないあくまで研修の講師を務める人間の文章である。数十人或いは数百人を前に講習を行うと言う事は間違った日本語がそれだけのスピードで伝わると言う事になる。ある意味細胞分裂で増えるスピードより速いスピードで伝わる事になり影響力は大である。このような意味の無い“擬音”片仮名語は早急に止めてもらいたいものだ。
なお原語である英語表記は文を難しくするのではないかといってあくまで日本語にこだわるべきだと主張する人もいるのは承知している。医療裁判などに際し証拠書類としてのカルテが英語またはドイツ語交じりのため裁判関係者、あるいはカルテの記録の主役と考えられ始めた患者本人がわかるカルテをという事で、カルテの日本語記述の指導に困っているという医師の話を聞いたことがある。それでも“擬音”片仮名表記すれば日本語とみなすらしい。馬鹿馬鹿しい話だ、アルファベットで書いたほうが本当の意味を伝える事が出来るのにエセ日本語にこだわる人が多すぎる。“擬音”片仮名を用いるくらいなら、しっかりとした訳語を考えるべきであると言い返したい。しかしよく考えてもらいたい、日本の義務教育就学率は100%に近い事はみんな知っている事である。つまり100%近くの人が英語の基礎教育を受けているのである、つまり「いずれの御おん時にか・・・・」等の古文よりも英語を知っている人のほうが多いのである。normalizationをnativeの発音しようがしまいがどちらでもいい。あくまで日本文の中の英単語、ノーマリゼーション、ノーマライゼーション、ノルマリゼーションいずれでもいいであろう。読み手が文章として呼んで理解できればいいのである。だから原語をそのまま表記するのは理解できない人に対する配慮が足りないと自らを正義ぶる批判は止めるべきである。これを英語表記と考えずにアルファベット表記と考えたらどうか、アルファベットなら日本語の表現方法として既に小学生でも知っているではないか。日本語は漢字、片仮名、平仮名の文字体系があるとよく言われるが、それにアルファベットの体系もあることを忘れているのではないかと思う。
今日用いた例文は特に乱れていると言う意味ではない、他にも福祉系の文章を見ていると訳しきれずに“擬音”片仮名語に極めて依存した文章に出くわすし、とても不快感を感じる。自分は英語を用いずに対象に対して優しい日本語を使っていると思ったら大間違い。“擬音”片仮名語の多用は退化した日本語の象徴である。乱れる日本語1で日本語は成長していると書いた。ある意味これは希望である。日本語を含む原語はとどまる事はなく変化している。いろんな可能性を包含し変化するのであれば成長であるが、。“擬音”片仮名語の多用・偏重は退化であろう。  


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