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野茂英雄投手引退表明に寄せて [随想]

 2008.07.17アメリカから野茂英雄引退表明のニュースが飛び込んできた。今シーズンも当初からメジャー登録されず、必死に返り咲きを求めて鍛錬を続け三年ぶりにロイヤルズの一員としてメジャー復帰を果たすも三戦のみで戦力外通告を受けた挙句の決断である。多くの人がこの知らせを感慨深くとらえたものと思う。
 日本のプロ野球の世界に身をおきながら、自ら志願してメジャーを目指しその夢を果たし活躍した、所謂アメリカンドリームを手にした最初の日本人といえる。勿論日本人最初のメジャーリーガーは1964年のマッシーこと村上雅則であることは周知のことではあるが、彼の場合は南海ホークスからの野球留学でアメリカに行っているときにスカウトされたという事で野茂とは事情が違う。野茂の場合はメジャー挑戦に際して日本の球団と身分の所在について充分処理をしての渡米であったのに対し、村上の場合はそれが無かったためシリーズ終了後SFジャイアンツと南海ホークスとの間でトラブルを生む事になった。日本プロ野球界に確固たる地位がありながらそれを捨ててメジャー挑戦をする姿に共鳴し多くの日本人が彼を応援し、その成功に欣喜雀躍とした事を昨日のことのように覚えているのではなかろうか。
 野茂がメジャー挑戦をする頃私は江夏豊のメジャー挑戦を思い出していた。江夏のメジャー挑戦は野茂と同じく所属球団との契約のもつれがきっかけであった。しかしその時既に36歳であった。キャンプでメジャー最後まで残ったものの最終的にはメジャー登録されず、3Aでのプレー打診を断って彼の野球人としてのプレーヤー生活に終止符を打った。最後まで江夏と争ったヒゲーラは15勝をあげたわけだから、まさにメジャーの一歩手前まで行っていたわけであった。江夏全盛期の時代日本の球界との関係を絶って、メジャー挑戦する道は無かったであろうし、やっとそのチャンスが来たときその年齢がメジャープレーヤーとしての夢を阻んだ。野茂の場合、メジャー挑戦は25歳、年齢にも恵まれていた。
 野茂が大リーグに渡って築いた成績は123勝109敗、二度のノーヒットノーラン、オールスター出場、三度の開幕投手、新人王などなどメジャーに残した足跡はとても大きくあちこちで取り上げられているので、ここでそれを取り上げる必要も無いであろう。もう少し書かせていただければメジャーリーグで始めてホームランを打った日本人という事、アメリカにサンシンという言葉を伝えた事である。
 野茂がメジャーに行った事が日本に与えた影響も大きかった。NHKのメジャーリーグ放送が本格的なものとなり、多くの国民がメジャーをとても身近な存在と感じるようになった。野茂の成功は米球界の日本球界に対する評価を上げ、その後イチローを初めとする多くの日本人プレーヤーがメジャーに入る礎となり、メジャー開幕戦が日本で開催されるほどになった。これも野茂の成功あってのことと思う。もし来年も日本で開幕戦が行われるのであれば、是非野茂に始球式で投げてもらいたいものである。
 さて、この後であるが何人かのメジャープレーヤーがメジャーを離れた後、日本球界に復帰してプレーする人も多いが、野茂の場合はまず日本球界復帰は無いであろう。そんなことを考える人ではない。first Japanese Major playerとしての彼の軌跡は独特であるから、引退後の野球人としてのcarrierもまた、他のメジャープレーヤーとは一線を画したものになるに違いない。是非後に続く野球人が見本と出来るpostplayer carrierの開拓を願いたいと思う。

あほかメールと死に神 [随想]

 最近所謂メディア活動に関して話題となったことばである。
 あほかメールはNHKの番組「戦争と女性への暴力」の編集過程で取材協力した団体(バウネット)が、NHKが放送の段階で意図的にある部分を削除して放送した事の是非を争って闘い、NHK側の勝訴になった事に対して日経の編集局員が送ったメールの事である。記者は個人として送ったというが、発信元が日経のドメインであったため明るみとなり、日経は社内規定によりこの社員を処分したとの事。彼の言い分は「報道ってのは取材先の嫌なこともちゃんと中立的に伝えるのが役目なんだよ。なんであんたがたの偏向したイデオロギーを公共の電波が垂れ流さなきゃいけないんだよ」とのことでこの「偏向した」団体に対して「あほ」と書いたもの。団体は名誉毀損と訴えている。個人の意見を言ったにせよ、会社のドメインから送ったとなると、会社の意見とも取られかねずやはり慎重な行動が必要であった。

 死に神は次々と死刑判決に対して執行を行う、鳩山法務大臣を揶揄して朝日新聞のコラムにて

 永世死刑執行人 鳩山法相。
「自信と責任」に胸を張り、2
カ月間隔でゴーサイン出して新
記録達成。またの名、死に神。

と書いたことに対して、法務大臣としての職務を誠実に果たしているという自負のある法相が職務に対する侮辱だと訴えたのに加え、この騒ぎを知ったサリン事件被害者団体や、犯罪被害者団体をはじめ1800通もの朝日新聞を非難する声明が出されたというもの。死刑廃止論者は職務を誠実に果たしているという自負そのものを思い上がりといい、そうでない者は書いたものだけでなく朝日新聞の姿勢そのものをふざけている、軽々しいと非難をする。朝日側は「風刺コラムはつくづく難しいと思う」、「法相らを中傷する意図はまったくありません」として少なくとも陳謝の意思は見せなかった。

 この二件の出来事に共通していえるのは自己主張はどこまで許されて、どこからが中傷、名誉毀損なのかという問題で、実のところ非常にあいまいである。例えば(古くて申し訳ないが)がんばれタブチくんという漫画がその昔あったが、あれなどは極めて名誉毀損に当たると思いつつも愛読した読者は多いと思う。田淵選手が騒げば事件にもなりうる内容だったはずだ。ただ本人が「かまへん」と思ったからこそヒット作になった。セクハラもそうで「女性」が嫌がる行為はセクハラだと規定する、いつか芸能人が臍だしルックの服を着ていながら臍を眺められたからセクハラだと騒ぎ立てた事があったが、田淵選手なみの鷹揚さを持つことが必要だし、それが出来ないなら臍など出さなかったらいい、セクハラと非難される立場から言うとそんなものが目の前にあることのほうが迷惑、セクハラとは笑止千万と思った方が多かったのではなかろうか。個人のレベルでは曖昧だといっていてもいいが、マスメディアにある人はもっと慎重であっていいと思う。マスメディアの人間も所詮は個人であるが、バックにメディアがついていると大衆は非常な力を感じる世の中になっている事をメディアの人間はもっと自覚すべきで、「風刺コラムはつくづく難しいと思う」などととぼけていては困る。ペンは銃より強しとはメディアに勤める人の自負であろうが、自分たちの書く文章は大衆の中の一個人の書く文章とは異なり「武力」なんだという事に思いを寄せてほしい。むしろ自社の意見として、死刑廃止反対論者の購読者から購読を打ち切られることも意に介せずくらいの意気込みで風刺で無い正論を書くべきではないのか。

 そして我々大衆は如何にメディアが中立性、公共性を謳おうとも、それぞれが意見を持った団体である事を常に意識して、その意見を鵜呑みにしないことであろう。メディアはその豊富な情報量を利用して、世論形成を図ろうとする一面を持つことを忘れてはならない。昔ならいざ知らず、現在はネット社会、掲示板や、ブログなどでいろんな意見を目にすることの出来る時代である。中にはふざけた意見もあろうがそれはそれとして個々に対して批判したり同調したりする意識を養い,その上で「中立」であるメディアの報道を吟味して自らの情報とする必要がある。


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