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私は貝になりたい [電影]

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 はじめてこの映画の題名をきいたとき、as happy as clamのphraseが浮かんできて幸せな生活を希求して一生懸命生きるストーリーの映画かなと思ったが、少し調べて全く違う事がわかった。
 1958年にフランキー堺主演のドラマとして放映され日本中を感動の渦に引き込んだらしく、1959年には同じくフランキー堺主演で映画化されている。その後2008年にも映画化されている。また原作者である加藤哲郎の話としてのドラマが昨年公開の赤壁の孫権軍の隊長である甘興を演じた中村獅道が主役を演じるドラマとして2007年にドラマ化されている。フランキー堺のドラマはまだテレビが一般に普及していない頃であるし、映画に触れる年頃でもなかったので見たことはないし、2007年のドラマは近年テレビを見る機会が殆ど無くなったこともあり、見るわけも無い。したがってこの映画の題名は新鮮なものであった。
 昨年は黒澤映画の七人の侍、隠し砦の三悪人がremakeされるなど名作をもう一度現代の技術で作り直そうという気運の高い日本映画界であるが、「私は貝になりたい」もまた日本のドラマ・映画史上の代表作といってもいい話でありremakeの運びに成ったものと思う。このお話は東京裁判を描いたもののひとつである。2008年11月12日は所謂A級戦犯に判決が下されて丁度60年の節目にあたる。そういったこともremakeをおこなう推進力になったのかもしれない。また最初の作品がつくられた1958年は巣鴨拘置所が閉鎖された年であり、聖徳太子の一万円札、特急こだまが生まれ、東京タワーが完成した年である。そういった着々と「戦後」に別れを告げようと走り出した日本の世相の中で戦後処理として行われた東京裁判の問題を提起する存在として誕生した映画であることを覚えておきたいと思う。
 名作という事で多少のネタばれも許されるだろう。二次大戦の末期主人公豊松に赤紙が届き内地で入隊する事になる。初年兵ということで上官から厳しい訓練を受ける。主人公はどちらかというと出来の悪い初年兵であった。このことが後々災いを招く。大阪大空襲の日、対空砲火で一機を撃墜し主人公らは米兵の捜索に山に向かう。米兵を発見し現地の隊長が磔のうえ処分するという。その役として出来の悪い二人の初年兵が選ばれ銃剣で突くよう命じられた。しかし出来の悪い豊松は腕をかすっただけで突き殺す事は出来なかったが米兵はやがて体力が尽き世を去る。時は移り、敗戦日本の政治は連合軍が仕切っていた。鬼畜米英と叫んでいた庶民も米軍の民主政治の下、民衆を騙して戦争に駆り立てたwar criminal VS innocent citizen の構図が出来上がっていた。主人公も家に帰り妻・子とともに理容業を営み東京裁判の話題などで辛かった戦争時代を話していた。そこにMPがやってきて、豊松は戦争犯罪人として逮捕されてしまう。つい先ほどまでcitizenの位置にいた豊松だが、突然に人民の敵であるwar criminalになってしまう。豊松はB,C級の裁判で前述の捕虜虐待の罪が重いとして絞首刑の判決を受けてしまう。価値観の違いと言うか戦争中は上官の命令は天皇陛下の命令で、上官に逆らえば逆賊として天誅が下るという考えから、捕虜虐待致死は重罪という価値観への大変換である。裁判で天皇を頂とする軍人としての価値観を話すと裁判官らに大笑いされるところがその価値観の違いをクローズアップされる。人間としての豊松の道徳観でも捕虜を殺してないからには絞首刑には値しないと思うのであった。かくして自らの判決は不当で死んでも死にきれないと思い悩む豊松であった。人の世の不合理性に、貝になり人と隔絶して過ごしたいと言う思いに辿りつくわけである。
 戦争はいろいろな不幸を連れてくる。だれでもすぐ思いつくのは戦死であるが、近代戦争は銃後にも多大な被害をもたらす。日本で言えば空襲、原子爆弾投下、米軍沖縄上陸作戦に伴う死亡などすぐに思いつくであろうし、大陸で関東軍を中心に行ったとされる種々の虐殺、731部隊の実験などもある。そういった被害者は戦闘員ではないが、「敵」に殺されたとの思いで死んでいったと分類してもよいと思う。しかし政治犯として獄中で死に至った人々や、沖縄では日本陸軍に殺された人々もいた事が知られている。彼らは「何故」、「敵」でもないものに命を奪われる必要があるのか、こころの整理が付かない死に方であると思う。豊松にとっても「絞首刑」の判決は自分の気持ちに整理の付けようが無い判決であった。この映画は心の整理の付かない「絞首刑」を背負った一人の男に焦点を当てた話であるが、戦争と言うのは数多の「なんで死ななあかんのやねん」をうみだしてしまうものである。この映画は日本軍が悪かった、戦後の連合軍政府の運営が杜撰だったとかいうものではないが、戦争というものの内包する残酷な運命を一人の市民に当て続けて描くことにより、その運命が誰にでも訪れうるものであると実感させ、反戦の誓いを新たにするには非常にいい作品であると思った。「楽映画批評」という映画コラムを担当する映画ライター町田敦夫氏は、主人公が「家族や、子供の心配などしなくていいように貝になりたい」と語ったところをとらえて、この言葉で作品の価値が大きく下がった、観客はこの言葉に非難を浴びせるだろう、と書いている。人間としての愛を訴えたいのであろうが、常に腹を切ることと隣り合わせで生活し、死そのものが美化されていた侍の社会の話ではないので、そこまで要求するのは現代劇の主人公には酷なのではないか。確かに現代人が大好きな「愛」のある言葉ではないが、逆にそれだけ虚飾に満ち溢れた人間社会というものに絶望的になった主人公の心を描く効果があってよいように私は思ったがどうだろう。
 非常に重い作品だった。上映が終了し映画館を去る私の足取りは重く心は沈んでいた。足取りの回復には映画館の隣の食堂で食事を終えるのを待つ必要があった。

 しかしヒトがいいのか貝がいいのかよくわからない。昨年末から続く不景気の影響で派遣村に寄り添う人々のいる中で、自暴自棄になり自ら命を絶つ人もいるのだろうが、エネルギーが外に向かっていき、無差別な暴力事件が起こったり、関西ではタクシー運転手を狙う事件が頻発している。そういう人たちにこの映画を見てくれというのは難しいのかもしれないが、ぜひ観てもらい今ある命の大切さというものを感じてもらいたいと思う次第。


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