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氷雪の門 [電影]

 氷雪の門、私は行った事はないが、北海道の北の果て宗谷岬に立つ女人の像のことである。樺太を失っても尚樺太を思うように立つ像の名称である。この映画は第二次世界大戦で住む地を追われ、或いは命を失った樺太の人々の物語である。製作は1974年、制作費は5億数千万円をかけて作られた。36年前の作品である。制作費に関しては多いのか少ないのかあまりに昔過ぎてなんと評価していいのかわからないが、チラシによると「超大作」と評価されている。しかし悲しいことに当時のソ連の政治介入により封切りされることなく人々の記憶から消え去っていた作品だ。そして奇跡的?に残っていた一本のフィルムを2010年デジタル処理して劇場公開となったもの。キャストは二木てるみ、鳥居恵子、岡田可愛、藤田弓子、南田洋子、黒澤年男、若林豪、赤木春恵、浜田光夫、丹波哲郎、田村高弘などの名前が並ぶ。
 36年間眠っていたという、歴史の重みに惹かれ観ることにした。劇場は以前にも紹介したことのある十三の第七藝術劇場という小さな映画館である。いつもは客は20-30人くらいが多いのだが、上演の15分前に6階の入り口エレベーターを降りてびっくりした。フロアに人があふれている。急いでチケットを求めた。整理券番号は92であった。前の映画が終わると客の入れ替えが行なわれる。整理券番号の若い順に入場する。見ると、「立ち見です」の表示がある。果たして座れるか?思いつつ入場する。幸い前二列くらいに空席が見えた。ラッキーである、もし整理券番号が1番であってもそのあたりに座ることが多いからであった。どうもこの映画館の座席数は96(12*8列)のようであった。私にとってはこの映画館がこんなに人であふれたのは初めての経験だが、皆36年の歴史の重みに惹かれてきたのだろうと思った。
 戦争映画であるから飛行機、戦車がでて、爆発シーンなども描かれる。セットで当時人口2万4千だったという真岡の町のセットも作られる。そういったところに資金が使われたのだろうか。ただ、現在のレベルで言うと「スペクタクル」といったものでもない。戦争の悲劇の常として、多くの市民が「何で戦争なんかするんだ」というどこにもぶつけようもない怒りを感じつつ死んでゆく。そして戦争映画の場合、余りにも多くの人が亡くなる前に観客がその人物に感情移入する前に死んでしまうので感じる悲しみは必ずしも大きくない。この映画の価値は、政治圧力でお蔵入りになったところにある。その原因はストーリーにある。昭和20年8月15日、所謂玉音放送で日本人が終戦(敗戦)をしり、軍も戦闘行為を終結したにもかかわらず、どんどんと樺太を南下するソ連軍の行為を描く。日本軍は交渉でポツダム宣言に基づく国際的正義を守るようソ連軍将軍に交渉するが、「我々は樺太占領を命令されている」との理由で聞く耳を持つことなくNO!の意思表示、そして敗戦国に「国際条約もくそもない」とはねつける。再度白旗を揚げ交渉に望むシーンもあるが、停戦を求める日本の将兵の話を聞くだけ聞いた後、再びNo!と答えると丸腰の兵隊を一斉射殺する。最終的には、次々と残虐行為が行なわれる様子を窓から見つつも、樺太の通信情報網を守るのは天職だとの誇りを持って働く電話交換士の女性職員が電話線が破綻し、もう仕事がなくなったとき集団自決する。いわば北のひめゆり部隊物語のようなものである。
 史実は若干異なるようであるが、戦争の悲しい物語として記録されている。先の氷雪の門にこの電話交換士の女性たちを称える碑がたっているという。戦争殉職者として1973年3月31日付で勲八等宝冠章という勲章を与えられているとのことである。
 ペンは剣より強し、ジャーナリストが好む言葉だが、「敗戦国に国際条約もくそもない」という言葉で侵攻が半ば正当化され、現在に至っている北方領土問題である。(なお樺太はサンフランシスコ条約で領有放棄を行なっている)。現在も尖閣諸島問題で周辺国と争いがある。日本は日本固有の領土と主張しているが、どの国にとっても人の住んでない島のこと「固有の領土」と夫々が主張する根拠はどうなのかよくわからない。しかし現実はペンで動かないこともあるというのが史実でもある。資源のない日本が繰り出せる「カード」は限られている。この映画を見つつ、この国の将来に憂いを感じる今日この頃・・・・・

南京・引き裂かれた記憶 [電影]

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  題名から想像に難くないと思うが、このフィルムは南京大虐殺に関するものである。中国ではれっきとした政治のひとこまであり、大虐殺をテーマとした記念館が建てられていることを知っている人も多かろう。今年はこの事件を主題とした映画の一つ「南京!南京!」が大ヒットを記録した。その一方で日本の政治では「はたして南京大虐殺は存在するのかどうか」が問題になる。この違いは何なのか、この事件は東京裁判でも認めており、中国史だけではなく世界史上の事件としても存在するのに日本史には存在しない奇異な状態が続いている。
 そもそも歴史には正史と正史ではないが裏の歴史といったものが存在する。大まかに言って正史は妥当な内容だが、場合によっては裏の歴史のほうが正しかったりする。一般に正史は時の支配者が編纂する為、支配者にとって都合の悪い部分はうまい具合に改竄されていることが多い事が知られる。そして、世の中には歴史にはならない歴史がある。つまりその時代に生きた民衆一人一人の個人史であり、これのintegrationが真の歴史であるが、余りにも膨大なデータであり、誰もまとめる事は出来ない。
 しかし日本国内で南京大虐殺の事実を知りたいと思う市民が、ある意味政府に業を煮やし、自らの手で個人史の収拾をし、まとめあげたのがこのフィルムである。素材は日本軍の元兵士、南京開城の生き残り中国人で、それぞれ250人、300人から聞き取りを行なったという。元兵士からはそれぞれが行なった、殺害・強姦・強奪などが語られる。そしてそれぞれが経験した事を全ての兵がやったと仮定するとそれは大虐殺だろうと語る。そして中国側からは無差別殺人を目のあたりにして、なすすべもなく日本軍のするがままになっていった事実が語られる。これら現場で生きた人の話をまとめると南京侵攻は南京大虐殺であったと思わざるを得ないというのが私の感想だ。
 彼らの語る話はショッキングであった。
--------市民を含む無差別殺人はだれの命令だったんですか
「命令なんてそんなもん無い、皆がやるからやったんや。戦争中の命令がはっきりしとんのは、弾の音のせん時だけで、弾の音が聞こえるときはこちらも生きるか死ぬかの問題だ、命令なんて言うとられん。」
「誰かが、天皇陛下の命令だと言っとった。逆らえば軍法会議にかけられるでな」

ここから読み取れるのはどうも殺害ははっきりとした作戦としては実行されず、当時の中国に展開する日本陸軍としては皆殺しというのは当たり前と行った考えが蔓延していたのではないかと推測させる。だから命令があったかどうかは問題ではなかった。当時の日本に関しては軍に対するcivilian controlがなかったことは皆の知るところであるが、軍の内部にあっては○○征服といった大目標は上層部のはっきりとした命令であろうが、個々の中隊、小隊に関するコントロールはまた存在せず、誰が言ったかも分からないような天皇陛下の命令だという殺し文句で兵が動いていたように思われる。それゆえに日本政府の正式文書を調べても大虐殺は無いのかもしれない。また一般市民収容所の人々を集団で殺害した話も出てくるが、その動機は収容施設がいっぱいになったから、生かしておくとまんまを供給しないといけないからといった単純なもので、ナチスのホロコーストが管理された情況で起きたことと対照的である。情況を一言で言うと無秩序といえる。方法もまた単純で、収容した倉庫を丸ごと焼き尽くすといった方法を取った。無差別殺害にどちらが人間的だということも無いであろうが、ナチスよりも非人間的であったと感じる。

---------強姦はどのようにして行なわれた?、どう思う?
「若い盛りの兵隊やでな、嫁の無いものは我慢できたが、嫁の居るもんは我慢できるわけ無い。」
「わしらも死ぬか生きるかの世界に居った出な、人間のすることやない、畜生になっとったわけや。中国の娘らはかわいそうやったと思うけど、そんな時代さな」
「数人で難民のいるところに行って、引っ張ってきて小隊レベルで飼っとった。」
「憲兵も何も言わんし、軍医は中国は不衛生だから注意するようにと性病をチェックしてからやるようにと指示受けた。最初は皆で脱がしてチェックしとったけどそのうち蔑ろになり、病気になった奴が居る。そいつは軍医に注意を受け取った。」
「宿舎でもあったけど、行軍中もあった。その時は背嚢だけはずして銃剣は着けたまました。した後で銃剣で殺害する事もしょっちゅうやった。」

強姦に関しても統制だったものではなく、まさに犬畜生のように好きなようにやっていた事実が浮かび上がる。あるものは自分たちの所有として飼い、あるものは目的を果たすと殺害した。年齢も娘から、ばあさんまで供用したといっている。中国人側の証言では当時8才で強姦されたと言う証言があった。親子並べての強姦、輪姦、母・息子への近親姦の強要等々、ここまでするかというほどであり、おそらく従軍慰安婦問題を遥かに越えた無いようであったと想定される。
----兵士に聞くあなたの小隊が10人いたとして何人くらいしましたか?
「10人くらいやろ」
----それはあなたの隊だけですか?
「どの隊もしとった」
殺害同様大規模に行なわれた事が浮かんでくる。

 ベトナム戦争も然り、イラク戦争も然りだが戦争帰りの兵にPTSDなどの病態が報道される。非人道的行為を行った反動と解されるが、70年という時間がそうさせるのか、不思議な事に証言する人々にそういった雰囲気はなく、あの頃は犬畜生だったという事で自分を納得させているかのようだった。しかし、毎夜南京で虐殺したものの亡霊が殺しに来ると夜中に騒いでいた老人もいたことはいたという。映画で証言に出てくる人々から共通して感じるのは、天皇の名で紙切れ一切れでいつ死ぬか分からない情況に掘り込まれて、まともな人間でおれるわけ無いだろといった精神状況を感じる。それは戦争という生活を自らに課すには必要な反応なのかもしれないが、神風特攻隊や、回天乗組員のまさに御国のためにと言った悲壮な精神状況とは異質である。考えてみたら現代生きる人の倫理観も一様でなく、戦時中の倫理観も一把一絡げにいえるものでないという事であろう。
 南京侵攻からもう既に70年、旧日本軍兵士も、南京の生き残りの人も高齢で、大虐殺があった、なかったなどといった意地を張っている間に次々と世を去る時期に来ている。歴史の遺産としての名も亡き者の遺産の収集は今しか出来ない。そういった意味でこの映画を作るもととなった実行委員会の皆様の活動に敬意を表したい。そして彼らの活動の成果は学問的な意味でなく、個人史の集積から南京で虐殺が行われたということを明らかにしているということだ。


赤壁 Red Cliff partⅡ [電影]

 080718趙微VS林志玲 誰が赤壁をつまらないものにした?2.jpg小喬

080718趙微VS林志玲 誰が赤壁をつまらないものにした?5.jpg尚香

 この映画partⅠは昨年の秋公開されpartⅡは今年の四月公開となったものである。私は昨年の11/3にpartⅠを、今年の4/19にpartⅡを観ている。実を言うと4/11にも六本木ヒルズにある映画館まで行ったのだが、すごい人でその日は見るのを諦めた経緯がある。それほど人気の映画だということだ。三国志そのものが隣国中国の有名な歴史に基づいた物語である事、近年のゲームそのものに三国志を題材にしたものがあり、若い者も三国志ファンがいることなどによるのであろうか。partⅠの記事を書いてpartⅡの記事を書いてなかったので二ヶ月前の記憶を辿りつつ記録しておきます。
 以前のRed Cliff partⅠの記事でも書いたが、この映画は所謂三国志演義とはストーリーが若干異なる。何にも増して異なるのは孫権の妹、尚香と周瑜の妻、小喬の二人の女性の活躍をストーリーの大きな軸においていることであろう。この二人の女性を前面に出す事で観客をはらはらさせ映画の娯楽性を高める事に成功している。それに反して苦肉計で有名な黄蓋の話は無かった事になっている。(苦肉計とは周瑜が作戦会議でわざと黄蓋を殴り、それがきっかけで黄蓋が曹操軍に寝返ったように見せかけて曹操軍の船に火を放つ話)、映画の中では黄蓋が周瑜に「私を殴ってください。あなたがひどい奴だといって曹操軍に寝返るふりをします」と申し出たところ、周瑜が「あなたのような老人を殴るなどという事は出来ない」と軽くいなしています。このように本来の三国志にある有名な話をデフォルメするとともに新たな逸話を挿入したストーリーにしています。partⅠ編でも書いたように中国映画独特の大量のキャストを用いた合戦の場面描写はとてもわくわくする映画です。映画に流れる躍動感とスピード、ずーっと昔の元気だったハリウッド映画のダイナミズムを感じることができます。勿論苦境に立つ男たちの一致団結した力が曹操を負かすといった話は我々を元気付けてはくれます。しかしこの映画の醍醐味はそんな教育的なことよりもダイナミックな物語の展開にあると思います。どこか教育的な啓示を含むラストシーンはえーっ、それはないやろという終わり方ですが、私たちの忘れていたまさに活劇を体験できる事と思います。私も含めてこの映画を通して三国志に興味を持つ人が増えるのではないかと思います。中国武術に興味の無い方も必見ですね。

PS:Red Cliffの成功で中国では歴史物語の映画化という動きが出てきているようで、この六月東京で大秦帝国という弱小国秦を一大帝国に育て上げる映画が封切りになった。これも上下二巻の映画らしいが観てみたいものですね。


タグ:赤壁 Red Cliff

感染列島 [電影]

 社会問題、或いはホットな話題を捉えてアタリを狙う邦画の一つであり余り期待も、観たい気も無かったが、世間では見る人も多かろうという気もあり、「世間に遅れないようにしよう」との思いで観てみました。観ようと思っている人に観るなと説得する気はありませんが、何を観ようかと悩んでいる人がいるとすればその方に観賞を進める気にはなりません。
 この時期、新型インフルエンザがらみの映画を作ればあたるだろうという商業主義が見えみえの映画といえるでしょう。養鶏場で鶏が大量死し、経営者の家に石が投げ込まれる、マスコミが大挙して経営者を取り巻いてインタビューする。これらは避けるべき行為であるが、にも拘らずただワイドショー的に取り上げているだけでむしろこの映画の作者自体がこういった「マスコミ」の一族である事がすぐ分かる。映画の設定がWHO phase3だったのかphase4だったのかの記憶も定かではないが、ある病院で極めて重症の感染症患者が発生する、しかもインフルエンザチェックテストは陰性であった。その病気が人をしに至らせるほどの重症感染症で且つ容易に周囲に感染する能力を持つ。これらのエピソードはそれがインフルエンザでない事を十分に語っているから、鳥インフルエンザのエピソードは不要だし、そのエピソードを入れることにより、「インフルエンザの話?」と思わせるしいたずらに映画の時間を長くしているだけである。重症感染症の話であるから犠牲者が出る。その死亡の場面や、救急処置の場面など事実を述べるだけでなく映像表現する。しかし映像を見ると余りにも実感を伴わず、思わず笑ってしまう。いっそのことオーバーなCGでも使って、ホラー映画みたいにしたほうがいいんじゃないのと思ってしまう。主人公の元彼女で副主人公の女医と、主人公とともに病院で働く看護師も犠牲者にしているが、この犠牲もただお涙頂戴をどうやって獲得するかといった計算から出ただけのストーリーであろう。しかし何か涙が出てこない、なんでだろうと思うがやはり演技が下手なんだろうと思う、ぜんぜん悲しくない。それに犠牲になった看護師など隔離施設となり、家族とも離れ離れとなり、院外に出る事も許されずに働く看護師と一緒に治療に当たっているはずの主人公が東南アジアに飛び出し、感染症の原因を探すたびに出る。これも病院で第一級の重症感染症対策に当たる仕事とはどういうものなの?と口を挟みたくなる。主人公以外の人間を作るべきであり、病院のスタッフは服装も、化粧も含めズタズタ、ふらふらの生活をせざるを得ないように描かないと悲惨さが出ない。廃墟のように描かれた東京の町とのアンバランスも興味をそぐものである。最後にキーワードのようにして用いられる「この世が最後のときリンゴの木を植えてください(余り興味を持ってみてなかったので記憶が少し不正確かもしれません)」という言葉が作品全体にどういう影響を持つのか、synbolic commentを残すのであればもっと効果的に映画全体で用いるべきであろう。ほかの批評にもあったが、お涙頂戴の主人公のラブストーリーも邪魔である。医療処置、臨死の表現の不自然さは述べたがそのほかにも発熱外来とおぼしき画面、地域封鎖の画面ももうひとつrealityに乏しいように思えた。
 という事で余り褒める事はない、ただ世間に感染症は怖いよといった情報を流す価値はある。しかし誤解を伴った知識が広がらない事を祈るのみ
タグ:感染列島

私は貝になりたい [電影]

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 はじめてこの映画の題名をきいたとき、as happy as clamのphraseが浮かんできて幸せな生活を希求して一生懸命生きるストーリーの映画かなと思ったが、少し調べて全く違う事がわかった。
 1958年にフランキー堺主演のドラマとして放映され日本中を感動の渦に引き込んだらしく、1959年には同じくフランキー堺主演で映画化されている。その後2008年にも映画化されている。また原作者である加藤哲郎の話としてのドラマが昨年公開の赤壁の孫権軍の隊長である甘興を演じた中村獅道が主役を演じるドラマとして2007年にドラマ化されている。フランキー堺のドラマはまだテレビが一般に普及していない頃であるし、映画に触れる年頃でもなかったので見たことはないし、2007年のドラマは近年テレビを見る機会が殆ど無くなったこともあり、見るわけも無い。したがってこの映画の題名は新鮮なものであった。
 昨年は黒澤映画の七人の侍、隠し砦の三悪人がremakeされるなど名作をもう一度現代の技術で作り直そうという気運の高い日本映画界であるが、「私は貝になりたい」もまた日本のドラマ・映画史上の代表作といってもいい話でありremakeの運びに成ったものと思う。このお話は東京裁判を描いたもののひとつである。2008年11月12日は所謂A級戦犯に判決が下されて丁度60年の節目にあたる。そういったこともremakeをおこなう推進力になったのかもしれない。また最初の作品がつくられた1958年は巣鴨拘置所が閉鎖された年であり、聖徳太子の一万円札、特急こだまが生まれ、東京タワーが完成した年である。そういった着々と「戦後」に別れを告げようと走り出した日本の世相の中で戦後処理として行われた東京裁判の問題を提起する存在として誕生した映画であることを覚えておきたいと思う。
 名作という事で多少のネタばれも許されるだろう。二次大戦の末期主人公豊松に赤紙が届き内地で入隊する事になる。初年兵ということで上官から厳しい訓練を受ける。主人公はどちらかというと出来の悪い初年兵であった。このことが後々災いを招く。大阪大空襲の日、対空砲火で一機を撃墜し主人公らは米兵の捜索に山に向かう。米兵を発見し現地の隊長が磔のうえ処分するという。その役として出来の悪い二人の初年兵が選ばれ銃剣で突くよう命じられた。しかし出来の悪い豊松は腕をかすっただけで突き殺す事は出来なかったが米兵はやがて体力が尽き世を去る。時は移り、敗戦日本の政治は連合軍が仕切っていた。鬼畜米英と叫んでいた庶民も米軍の民主政治の下、民衆を騙して戦争に駆り立てたwar criminal VS innocent citizen の構図が出来上がっていた。主人公も家に帰り妻・子とともに理容業を営み東京裁判の話題などで辛かった戦争時代を話していた。そこにMPがやってきて、豊松は戦争犯罪人として逮捕されてしまう。つい先ほどまでcitizenの位置にいた豊松だが、突然に人民の敵であるwar criminalになってしまう。豊松はB,C級の裁判で前述の捕虜虐待の罪が重いとして絞首刑の判決を受けてしまう。価値観の違いと言うか戦争中は上官の命令は天皇陛下の命令で、上官に逆らえば逆賊として天誅が下るという考えから、捕虜虐待致死は重罪という価値観への大変換である。裁判で天皇を頂とする軍人としての価値観を話すと裁判官らに大笑いされるところがその価値観の違いをクローズアップされる。人間としての豊松の道徳観でも捕虜を殺してないからには絞首刑には値しないと思うのであった。かくして自らの判決は不当で死んでも死にきれないと思い悩む豊松であった。人の世の不合理性に、貝になり人と隔絶して過ごしたいと言う思いに辿りつくわけである。
 戦争はいろいろな不幸を連れてくる。だれでもすぐ思いつくのは戦死であるが、近代戦争は銃後にも多大な被害をもたらす。日本で言えば空襲、原子爆弾投下、米軍沖縄上陸作戦に伴う死亡などすぐに思いつくであろうし、大陸で関東軍を中心に行ったとされる種々の虐殺、731部隊の実験などもある。そういった被害者は戦闘員ではないが、「敵」に殺されたとの思いで死んでいったと分類してもよいと思う。しかし政治犯として獄中で死に至った人々や、沖縄では日本陸軍に殺された人々もいた事が知られている。彼らは「何故」、「敵」でもないものに命を奪われる必要があるのか、こころの整理が付かない死に方であると思う。豊松にとっても「絞首刑」の判決は自分の気持ちに整理の付けようが無い判決であった。この映画は心の整理の付かない「絞首刑」を背負った一人の男に焦点を当てた話であるが、戦争と言うのは数多の「なんで死ななあかんのやねん」をうみだしてしまうものである。この映画は日本軍が悪かった、戦後の連合軍政府の運営が杜撰だったとかいうものではないが、戦争というものの内包する残酷な運命を一人の市民に当て続けて描くことにより、その運命が誰にでも訪れうるものであると実感させ、反戦の誓いを新たにするには非常にいい作品であると思った。「楽映画批評」という映画コラムを担当する映画ライター町田敦夫氏は、主人公が「家族や、子供の心配などしなくていいように貝になりたい」と語ったところをとらえて、この言葉で作品の価値が大きく下がった、観客はこの言葉に非難を浴びせるだろう、と書いている。人間としての愛を訴えたいのであろうが、常に腹を切ることと隣り合わせで生活し、死そのものが美化されていた侍の社会の話ではないので、そこまで要求するのは現代劇の主人公には酷なのではないか。確かに現代人が大好きな「愛」のある言葉ではないが、逆にそれだけ虚飾に満ち溢れた人間社会というものに絶望的になった主人公の心を描く効果があってよいように私は思ったがどうだろう。
 非常に重い作品だった。上映が終了し映画館を去る私の足取りは重く心は沈んでいた。足取りの回復には映画館の隣の食堂で食事を終えるのを待つ必要があった。

 しかしヒトがいいのか貝がいいのかよくわからない。昨年末から続く不景気の影響で派遣村に寄り添う人々のいる中で、自暴自棄になり自ら命を絶つ人もいるのだろうが、エネルギーが外に向かっていき、無差別な暴力事件が起こったり、関西ではタクシー運転手を狙う事件が頻発している。そういう人たちにこの映画を見てくれというのは難しいのかもしれないが、ぜひ観てもらい今ある命の大切さというものを感じてもらいたいと思う次第。


赤壁 Red Cliff PartⅠ [電影]

赤壁 Red Cliff  PartⅠ 2008米・中・日・台・韓/abex・東宝東和

 アジア映画史上最大規模となる製作費100億円を投じた歴史スペクタクル。広州生まれだが、主としてハリウッドで活躍するジョン・ウーが監督する。「三国志」の“赤壁の戦い”を基にした壮大な愛と戦いのドラマである。三国志は西遊記・水滸伝・金瓶梅・紅楼夢とともに中国五大小説と呼ばれる有名な物語で、日本でも大変人気があり、吉川英治、北方謙三、宮城谷昌光などの書物があるし、鉄人28号の横山光輝も漫画を描いている。またちろりん村とくるみの木やひょっこりひょうたん島を排出したNHKの人形ドラマでもたしか放送していたと思う。しかしわたしは何れの作品でも三国志を味わった事がないので実はよく知らない。単純に歴史スペクタクル映画として鑑賞した。
 ストーリーを書くとまだ見てない人にはネタばれにもなるし、すでに物語を知っている人には説明のいらないことであろう。いずれにしても飛ぶ鳥を落とす勢いの魏:曹操群に対し、数で圧倒的に劣る蜀:劉備、呉:孫権連合軍が人の道を守るという一点で命を賭して戦った赤壁の戦いを描いたものである。圧倒的な敵に相対する小さな部隊の戦いという意味では、スケールの大小はあれ日本における義経のヒヨドリ越え・屋島の合戦、楠正成の千早城籠城、織田信長の桶狭間、冬の陣の真田雪村などの気分爽快な戦いに相通じるものがあると思う。それを巨額の費用を用いたセット、スタッフ、コンピューター映像などを駆使して書き上げた壮大な物語である。だから、三国志という物語をよく知っている人にとっては本と違う、あまりにも娯楽的だ云々の批判はあるやに聞く。ただわたしは三国志を知らない。かつてのハリウッド映画が持っていた壮大なドラマとして楽しんだ。
 三国志で最も親しみをもたれているのは桃園の誓いを契機に義兄弟の契りを結んだ劉備・関羽・張飛であるが、この映画に関しては劉備の軍事参謀である孔明(金城武)、孫権の参謀の周瑜(トニーレオン:梁朝偉)の二人が主人公で、風林火山を山本勘助を中心に描いたような話と考えればいいのだろう。その他の人物として注目は周瑜の妻、小喬である。歴史的には曹操が蜀・呉を攻めたのは中国統一の為であったが、この映画の複線としては若い頃会ったことのある美貌の小喬を周瑜から奪う事が目的のようにも設定されている。進軍中、曹操に連れ添い世話をする女官に対して“小喬”と呼び、自分の名前を覚えようともしない曹操の態度に悲嘆な思いを持つのである。この小喬を演ずるのが台湾のトップモデル、リンチーリン(林志玲)で映画初出演だが堂に入っている。PartⅠでの露出は少なかったが、予告編で見る限りPaartⅡではかなり重要な役割を果たすことになりそうである。また日本人として中村獅堂も出演している。PartⅠの最も圧巻なシーンは合戦シーンであるが、八卦の陣という、当時でもややout of dateな陣を引いた連合軍に対して曹操軍の騎馬隊が突入していく場面、とてもスピーディに騎馬隊を取り組んでいく、見事な作戦だった。見ながら、今年の北京五輪の閉会式、緊張感も取れた選手が自由に行進をする中で行進の終わる頃にはきっちりと定位置に押し込めて、後に続くセレモニーの場所をしっかり確保していた展開を思い出していた。五輪は張芸謀監督のプロデュースであるが、こういった展開も中国映画の特徴かと思った。戦闘は騎馬戦が中心で戦士と戦士の近い位置での戦いが描かれる、まるでちゃんばら映画のような描き方である。そのリズミカルな戦闘は七人の侍や隠し砦の三悪人を描いた元気な黒澤映画を髣髴とさせるものであった。

redcliff_wp3_l.jpg八卦の陣
 PartⅡは来年4月の公開、いよいよ両軍の正面衝突が描かれる。人の道に反するという事で始まった戦闘、展開のきびきびした“ちゃんばら”ドラマ、公開が待たれる。


タグ:赤壁 Red Cliff

おくりびと [電影]

おくりびとeiga.comホームページより。

監督:滝田洋二郎 脚本:小山薫堂 音楽:久石譲

キャスト:本木雅弘、広末涼子、山崎努、余貴美子、杉本哲太、峰岸徹、山田辰夫、橘ユキコ、吉行和子、笹野高史

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 まずは、日本映画のおくりびとがモントリオール映画祭でグランプリに輝き、中国でも金鶏賞を獲得した事を素直に喜びたいと思います。ハリウッド映画に代表される莫大な資金をかけた映画が、その画像で人を圧倒、感動させるのは当然として、このようなそれほど資金を使ってないであろう作品を丁寧に作って人を感動させる事が出来る事はすばらしいと思います。
 映画の魅力のひとつは私たちが日常出会うことの出来ない世界を教えてくれる事に有り、納棺師という新たな世界を教えてくれる作品だという感想は余りにも単純でしょう。山崎努演じるNKエージェント社長がniche industryと表現したように、こういう他人の避ける産業は上手くやると儲かるというのも事実で、何年か前アメリカでは殺人現場などを清掃する産業が有るという話を聞いたことがありますが、これも映画の主題ではない。
 現在日本人は「死」というものを余り身近で経験する事はなくなったとよく言われます。毎日のように殺人事件だの、自殺だのの報道に接しているではないか、これほど「死」の話を聞いているという意見も有るかも知れないが、それは単に「死」の情報を得ているだけで「死」を体感しているわけではない。何も好んで体感する必要はないが古来生きていれば何らかの体感の機会を持ってきたが、社会の発展というか快適な生活を願う人々の欲求は「死」の体感を遠ざけてきた事実が有る。そしてそれを代行する人々をあまり自分の身近な存在にはしたくないというのが現代なのではないだろうか?
 現在日本人の80%が病院で亡くなっているという事実が有る。裏を返せば臨死の時間を家族で見守るという時間は以前よりきわめて短くなり、その代行を医療職に任せている傾向が強いといっても良いだろう。この数字は「死亡場所の国際比較」syou21.blog65.fc2.com/blog-entry-191.html  によるとアメリカでは41%、オランダでは35%であるとのことで、日本はかなり特異な存在といえるかもしれない。そして葬祭産業が育ってくる。一世代ほど昔なら病院で亡くなっても遺体は自宅に戻り皆で寝ずの番で通夜をし、村の人々とともに棺おけに遺体を収め村の行事として葬儀を行っていた。埋葬まで遺体は厳然として目の前にあったものである。現在は無くなると看護師により死化粧やら綿詰め、着替えなどをしてもらった後病院の遺体安置室に移される。その後家庭に帰る遺体も有るが、近年の住宅事情からそのまま葬儀屋を借り切って通夜・葬儀をすることが多くなってきているようである。最後の入院のときもうこの家には二度と帰れないといった思いを秘めて入院する人々が多いのではないかと思う次第である。
 宗教研究家のひろさちやさんによると、葬儀は元来そこに住む人々が「死」という事を恐れつつ行う習俗であり宗教儀式ではなかったが、日本では江戸時代に檀家制度が整えられるにつれ仏教の儀式としての体裁が整えられて次第に人々の手元から離れてきた歴史が有るということである。そして葬祭産業が出来るにつれ更に儀式化が進行し「死」を体感する機会が減ったのと同様に「葬儀」もまた人々の手から徐々に遠のきつつある。
 この映画は納棺師という職業を通して葬儀をバーチャルに体感させる意味で新鮮である。山崎努・本木雅弘演ずる納棺師が遺体の尊厳を保ちつつ納棺する儀式を通して映画の鑑賞者は遺体に対面する事になる。はるか昔の遺体と家族との関係とは異なると思うが、宗教の存在しない環境で遺体と家族の関係を儀式的に演出する事で家族に最後の別れを体感させている。先にも述べたが病院で亡くなると死化粧や着替えなどは病院で家族のいないところでしてしまうことが多いので、この映画のようにその一部始終を家族の目の前で行うことは現実的には少ないと思う。また本木演ずる大悟の父親の葬儀屋のように産業化された葬祭産業は遺体と家族との関係をもっとドライに扱っているかもしれない。しかし、この映画は納棺師の儀式を通して、観衆にもっと遺体と自分との関係を見直してもいいのではないかと問いかけているように思う。より深い別れをすれば故人は残ったものの心に強く残される。この作品で扱った石文に用いた石ころでさえ大きな意味を持つ事になるのであろう。宗教儀式ではなく、もっと真正面から亡くなった人と自分との関係を思い起こして過す必要を訴えかけている故に多くの人々の心を打つのだと思う。滝田監督もモントリオールグランプリの受賞の弁で、日本とは生活スタイルの違うカナダで評価されたのはうれしいとコメントしているが、死者との別れは宗教を超えた根源的なものだからカナダでも評価されたのであろう。
 そしてこの映画のサブテーマは以前このブログでも書いたour daily bread(いのちの食べ方)と共通するものが有る。つまり私たちが生きていく事は食べる事であり、何かの死を前提に生きている事を思い起こさせようとしているのである。「死」を体感したくないがゆえに食産業に任せている植物・動物の死を、人の死を見つめる事で同時に見つめなおすよう働きかけているように思う。そして体感したくない「死」の代償として汚らわしいものと考えている葬祭業者や屠殺業者などのお陰でcomfortableな環境を得ていることを忘れるなというメッセージを隠している。
 とにかく秀作と思う。作品の中で主人公もまた偶然に始めた仕事を通して「死」を見つめなおし成長していく。観衆もまた大悟とともに考え直すいい機会になると思う。上演が始まったばかりなので鑑賞体験を共有したい作品です。[ひらめき]


剃頭匠(胡同の理髪師)  中国2006 [電影]

鼓楼周辺地図.jpg080209今週末見るべき映画「胡同の理髪師」1.jpg

 この映画の主人公はキャリア81年93才の現役理髪師靖奎(チンクイ)さん、役者としては素人である。中国映画には張芸謀の作品で一個都不能少(あの子を探して)とか高倉健の出演した千里走単騎(単騎千里を走る)のように素人を出演させて成功させている作品が多い。監督は内モンゴル出身の哈斯朝魯(ハスチョロー)さん、彼にとってもこの胡同地区というのは独特な世界に映っているのであろうか。
 北京の故宮の北側にある北海公園の北側に位置し、十漢海(石版海)・由西海・後海・前海をまとめて什刹海(十刹海)と呼ばれる地域とその北側の鼓楼(時計台)を中心とした胡同地区を中心に物語が進めらる。この胡同の一角に靖奎は一人で住んでいる。別のところに息子がいるが、この息子も既に退職して年金暮らしである。息子には高血圧の持病があるが、その長男が失業中で生活が苦しいと靖奎に訴えに来る。靖奎は出張専門の理髪師で、毎日五分遅れる古い時計の音で毎朝六時に目覚め、入れ歯を入れ、愛用の櫛で頭を梳かし、自転車を改造した三輪車で細い路地を抜けてその日の顧客のところに向かう。おしゃれで規則正しい模範的な高齢者の生活である。映画に出てくる顧客は老字号(老舗)のもつ焼き屋営む老人(老張)、年を取り閉じこもり傾向の老人(老米)、脳卒中で半身不随ながら隣の六十歳くらいの女の世話になり生活している老人(老趙)の三名。靖奎はとてもおしゃれで閑を見ては櫛で梳かす、おそらくこれ等の客よりも高齢であるが元気でいることを誇りとしているようであった。
 老米は靖奎とは異なり、高齢化に伴い閉じこもった生活をしている。靖奎は家を訪ねると彼を起し剃頭と髭剃りを施す。間も無く彼の顔つきがしっかりしてくるのが分かる。そして靖奎は閉じこもってないで外に出れば気分も晴れるし、麻雀をすれば頭の老化も防げると不活発な生活を続ける老米を支援する。外で老米の息子が練炭や食料を届け暫く出張をすることを告げる声がした。この日親子は顔を合わすことはなかったが、二人は二度と生きて顔を合わすことはなかった。靖奎が次に老米の剃頭に訪れたとき返事がないので部屋に入ると既に老米は息絶えていた、死後数日の孤独死である。無精ひげが伸びたままであったと言う。老米には最近の写真がなく、息子が遺影として掲げたのは40年ほど前の息子より若いような写真であり、知り合いの老人たちはやはり死ぬときの準備をしておくべきだと感慨深げに語る。
 老趙も一人暮らしで脳卒中後遺症で介護の必要な情況だが、隣に住む世話好きな女の世話もあり、いい生活をしてる。彼には裕福な息子があり、マンションでの同居を勧めている様であるが老趙は拒んでいるようである。老趙の部屋の引き出しには息子の持ってきた大金が入っているが老趙は喜んではいない。老趙からみるとオリンピックを前にやがて立ち退きを迫られるがその時の莫大な保証金目当ての行為と映り、靖奎の前で「俺の金は俺に親切にしてくれる人にやるんだ」という。老趙は靖奎の技術を褒め彼がかつて国民党総司令官傳作義、京劇の女形俳優の梅蘭芳などのお抱え理髪師であった話などする。靖奎もうれしくなり放睡を施す。(彼らによると体のつぼを刺激して悪いものを出す手技で最後にくしゃみが出たら体の調子がよくなる理髪師がなじみの顧客にしか行わない手技とのこと。日本軍が来てから按摩などと呼ぶようになってしまったと嘆く。)この老趙も息子が外車でやってきて無理やり彼の住宅に連れて行ってしまう。やがて老趙は元気もなくし食欲もなくして死んでしまう。
 靖奎の顧客は400人くらいが死んでしまっていたが、この二人の友人の死は彼の内面に大きな変化をもたらす。地区の役員が二十年有効の新しい身分証を作るから写真を撮るように告げに来た時は、あと二十年生きるのかと言った顔をしておどけていたが、写真を撮り変わり果てた自己に気づく。老米同様写真など取った事がないことに気づく。靖奎が仲間と麻雀をしながらいう言葉は。「人間、死ぬ時もこざっぱりきれいに逝かないと」──ということである。靖奎は自らの命も長くない事を強く思うようになり、洋服店に行き正装の新調をする。店員は背広と勘違いしたが靖奎のいう正装とは人民服であった。オリンピックを迎える現代と靖奎らの世代を大きく分けるエピソードの一つと映った。そして路上理髪屋を訪ね髪を整えると遺影とする写真を撮る。葬儀に備えて自らの経歴をテープレコーダーに録音する。自立して生活する老人も死んでからの準備は出来ないことを仲間たちと自覚して以来何とか死後の準備も自立してやっておこうという靖奎の独立心を象徴しているようであった。
 こういったストーリーのところどころに昔の北京人たちの素朴な生活を描きノスタルジーを与えるとともに、何も楽しい未来を描く事の出来ない老人の暮らしの現実も再認識させてくれる。またオリンピックを迎えて大きく変わろうとする北京の街の気配、若者の意識の変化を対照的に描いている。北京の街の変貌は靖奎たち老北京人たちの時代の終焉を意味する。毎日五分遅れで動いていた時計が突然五時五十九分で止まってしまったエピソードや、映画のラストの胡同の建物の壁に取り壊し決定を意味する「拆」を書いていく画面は古い北京即ち靖奎らの世代の終焉を暗示している。
 この映画、特に興奮するところもなければ、大笑いするところも泣ける場面もない。しかし、どこかじー~んとする映画である。映画の舞台は6年前北京を訪れた際反日ほどうろうろした地域であるだけに懐かしく観賞した。間も無くオリンピックが開催される。と言う事は鼓楼周辺の胡同の殆どは取り壊されたのであろうか。オリンピック開催のざわめきとともに気がかりではある。最後に6年前のこの地域の写真を紹介します。上から什刹海のほとり、畔に立つ宋慶齢(宋家の三姉妹の次女で孫文の妻)の旧家、梅蘭芳記念館の中の展示、胡同の路地で中国将棋をうつ人々です。
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Our Daily Bread いのちの食べ方 [電影]

Our Daily Bread いのちの食べかたを観て

2005 ドイツ・オーストリア映画
 原題の英語訳はOur daily bread、日本語に訳すとみんなの毎日のパンという事で日々の糧と訳したほうが一般的かと思う。なぜいのちの食べ方の邦題をつけたのは想像するに森達也著 いのちの食べかた(理論社)2004年、の知名度を利用したのではないかと思う。書籍のほうは肉や、魚などの食材がスーパーに並んでいるものとしか理解できてない子どもにどうやって食卓に届くのかを教える食育の要素のある書籍である。
 映画はドキュメンタリーフィルムで食肉・野菜の生産現場を黙々と捉え続ける台詞のない作品である。環境音は聞こえるが、まるで無声映画の世界であり、その映画を通して受ける印象も台詞のある映画よりも幅が広くなるであろうと思う。
 ブタ・牛などの種付け場面というよりも精液の採取と注入の場面があったり、出産、それも立ったままの牛の腹を割いての出産があったり、ふ卵器のずらり並んだ所からひよこが帰ったと見るや一斉にふ卵器をあけ無数のひよこを取り出す場面があったりする。一匹づつ取り出すということはなく、ふ卵器ごとあけて生きたひよこを選別、かえってない卵は廃棄処分となる。かえったひよこは芋の子を洗うような状態でベルトコンベヤーで運ばれ次々とポリケースに詰められる。そのままいくつモノポリケースがトラックに載せられ恰もミカンの出荷の追うな状態で養鶏場に運ばれる。その後の扱いも同様でいっせいに養鶏場に放り出されるひよこであった。そしてその出荷は大きなバキュームで吸い込まれるようにトラックに積み込まれ屠殺工程に進む。どの鑑賞者も衝撃を受けたと書くのは鶏もさることながら、豚・牛の出荷から屠殺の工程である。次々と屠殺場に運び込まれ、意識を失い、足から吊り下げられ、身体の正面から真っ二つに刃物が襲う、おびただしい血液が出る、飛び出る内臓を処理する人々、熱湯がかけられ滅菌処置が行われていく。家畜は吊り下げられたまま移動し各工程を進む、最後に床に落ちた血液などを丁寧に掃除する工程が残る。従事する人々は会話を交わすことなく黙々と無表情に働く。魚の解体も然りである一匹一匹が瞬く間に解体されコンベアーを進む。キューリ、パプリカ、トマト、リンゴ、オリーブなどの収穫も映し出される。ここでの収穫は作物の間を定速で動く機械に乗った人々が無表情に、忙しく作業する。話をする余裕のないスピードである。最後に残るのは残骸ともいうべき茎と葉だけの作物。従業員はこれをごみ掃除をするように取り去り、次の種まきに備える。これらの工程は順不同にオムニバス映画のように映し出される。家畜の場面があったかと思うと野菜の場面が映し出されるわけである。ごく短時間であるが従業員の生活が垣間見られる。個々も殆ど会話はなく、うつろな目で質素な食事をするところであった。観客は92分間画面に釘付けになる、無論ポップコーンを食べる人などない。
 この映画の目的は邦題の付け方でも分かるように私たちが口にする食べ物が実はこのようにして出来るのだという事を教える事であろう。「あーこうしてるのか、知らなかった。」どの観客もここまでの感想は同じなのだろう。話題性のある映画なのでいろいろな感想がネット上で読めるが、家畜に関する表現は多いのだが、野菜に関する表現は余りない。鳴き声をあげたり、血が出たりして人々に与える衝撃は勿論家畜のほうが大きいが、野菜の場面に来るとほっとするといった表現をしている人がいるのは少し驚いた。この作品がオムニバス形式で家畜と野菜の区別なく“収穫”場面を映し出しているのは何れの食物も誰あろうヒトが食べる食物という点では同じであるということを訴えているのであろうと思う。血が出るから衝撃的だという事ではなく、ヒトは自らが生きるためにこれらの動植物の命を犠牲にしているという事を感じ取るべきであろう。全ては飽食に生きる現代人のための営みなのである。その食を支えているこの映画に出てくる人たちの食事が極めて質素なのは対照的であるが、彼らこそが、私たちに代わって命を奪う役を買って出てくれている事に思いをはせるべきなのだろう。しかし、その現代人は食物を得るための過程を全く知らないか、意識しないで生きている。パック詰めされた食物からはあまり命を意識する事はない。よく、食育の現場では日本人は食べ物の命を意識するから“いただきます”といって食事を始める特異な民族である事が強調されるが、現実には“いただきます”の意識からは最も遠い民族なのではないだろうか?自給率40%を割り込む国にあって25%を食べ残し、期限切れなどの理由で捨てていく民族のどこに“いただきます”の意識が残っているのかと思ったりもする。そして“いただきます”の現実を知らずに快適に食べる人々のため黙々と働く人々に対する意識もきわめて薄いのではないかと思う、曰く犬殺し、牛殺し・・・・。この映画は私たちの命がたくさんの動植物の命の犠牲の上に成り立っている事を黙々と教えてくれる映画であると思う。まだ見てない方はぜひとも観て頂きたい作品です。

予告編へのリンク
http://www.unsertaeglichbrot.at/jart/projects/utb/website.jart?rel=en&content-id=1130864824948

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