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剃頭匠(胡同の理髪師)  中国2006 [電影]

鼓楼周辺地図.jpg080209今週末見るべき映画「胡同の理髪師」1.jpg

 この映画の主人公はキャリア81年93才の現役理髪師靖奎(チンクイ)さん、役者としては素人である。中国映画には張芸謀の作品で一個都不能少(あの子を探して)とか高倉健の出演した千里走単騎(単騎千里を走る)のように素人を出演させて成功させている作品が多い。監督は内モンゴル出身の哈斯朝魯(ハスチョロー)さん、彼にとってもこの胡同地区というのは独特な世界に映っているのであろうか。
 北京の故宮の北側にある北海公園の北側に位置し、十漢海(石版海)・由西海・後海・前海をまとめて什刹海(十刹海)と呼ばれる地域とその北側の鼓楼(時計台)を中心とした胡同地区を中心に物語が進めらる。この胡同の一角に靖奎は一人で住んでいる。別のところに息子がいるが、この息子も既に退職して年金暮らしである。息子には高血圧の持病があるが、その長男が失業中で生活が苦しいと靖奎に訴えに来る。靖奎は出張専門の理髪師で、毎日五分遅れる古い時計の音で毎朝六時に目覚め、入れ歯を入れ、愛用の櫛で頭を梳かし、自転車を改造した三輪車で細い路地を抜けてその日の顧客のところに向かう。おしゃれで規則正しい模範的な高齢者の生活である。映画に出てくる顧客は老字号(老舗)のもつ焼き屋営む老人(老張)、年を取り閉じこもり傾向の老人(老米)、脳卒中で半身不随ながら隣の六十歳くらいの女の世話になり生活している老人(老趙)の三名。靖奎はとてもおしゃれで閑を見ては櫛で梳かす、おそらくこれ等の客よりも高齢であるが元気でいることを誇りとしているようであった。
 老米は靖奎とは異なり、高齢化に伴い閉じこもった生活をしている。靖奎は家を訪ねると彼を起し剃頭と髭剃りを施す。間も無く彼の顔つきがしっかりしてくるのが分かる。そして靖奎は閉じこもってないで外に出れば気分も晴れるし、麻雀をすれば頭の老化も防げると不活発な生活を続ける老米を支援する。外で老米の息子が練炭や食料を届け暫く出張をすることを告げる声がした。この日親子は顔を合わすことはなかったが、二人は二度と生きて顔を合わすことはなかった。靖奎が次に老米の剃頭に訪れたとき返事がないので部屋に入ると既に老米は息絶えていた、死後数日の孤独死である。無精ひげが伸びたままであったと言う。老米には最近の写真がなく、息子が遺影として掲げたのは40年ほど前の息子より若いような写真であり、知り合いの老人たちはやはり死ぬときの準備をしておくべきだと感慨深げに語る。
 老趙も一人暮らしで脳卒中後遺症で介護の必要な情況だが、隣に住む世話好きな女の世話もあり、いい生活をしてる。彼には裕福な息子があり、マンションでの同居を勧めている様であるが老趙は拒んでいるようである。老趙の部屋の引き出しには息子の持ってきた大金が入っているが老趙は喜んではいない。老趙からみるとオリンピックを前にやがて立ち退きを迫られるがその時の莫大な保証金目当ての行為と映り、靖奎の前で「俺の金は俺に親切にしてくれる人にやるんだ」という。老趙は靖奎の技術を褒め彼がかつて国民党総司令官傳作義、京劇の女形俳優の梅蘭芳などのお抱え理髪師であった話などする。靖奎もうれしくなり放睡を施す。(彼らによると体のつぼを刺激して悪いものを出す手技で最後にくしゃみが出たら体の調子がよくなる理髪師がなじみの顧客にしか行わない手技とのこと。日本軍が来てから按摩などと呼ぶようになってしまったと嘆く。)この老趙も息子が外車でやってきて無理やり彼の住宅に連れて行ってしまう。やがて老趙は元気もなくし食欲もなくして死んでしまう。
 靖奎の顧客は400人くらいが死んでしまっていたが、この二人の友人の死は彼の内面に大きな変化をもたらす。地区の役員が二十年有効の新しい身分証を作るから写真を撮るように告げに来た時は、あと二十年生きるのかと言った顔をしておどけていたが、写真を撮り変わり果てた自己に気づく。老米同様写真など取った事がないことに気づく。靖奎が仲間と麻雀をしながらいう言葉は。「人間、死ぬ時もこざっぱりきれいに逝かないと」──ということである。靖奎は自らの命も長くない事を強く思うようになり、洋服店に行き正装の新調をする。店員は背広と勘違いしたが靖奎のいう正装とは人民服であった。オリンピックを迎える現代と靖奎らの世代を大きく分けるエピソードの一つと映った。そして路上理髪屋を訪ね髪を整えると遺影とする写真を撮る。葬儀に備えて自らの経歴をテープレコーダーに録音する。自立して生活する老人も死んでからの準備は出来ないことを仲間たちと自覚して以来何とか死後の準備も自立してやっておこうという靖奎の独立心を象徴しているようであった。
 こういったストーリーのところどころに昔の北京人たちの素朴な生活を描きノスタルジーを与えるとともに、何も楽しい未来を描く事の出来ない老人の暮らしの現実も再認識させてくれる。またオリンピックを迎えて大きく変わろうとする北京の街の気配、若者の意識の変化を対照的に描いている。北京の街の変貌は靖奎たち老北京人たちの時代の終焉を意味する。毎日五分遅れで動いていた時計が突然五時五十九分で止まってしまったエピソードや、映画のラストの胡同の建物の壁に取り壊し決定を意味する「拆」を書いていく画面は古い北京即ち靖奎らの世代の終焉を暗示している。
 この映画、特に興奮するところもなければ、大笑いするところも泣ける場面もない。しかし、どこかじー~んとする映画である。映画の舞台は6年前北京を訪れた際反日ほどうろうろした地域であるだけに懐かしく観賞した。間も無くオリンピックが開催される。と言う事は鼓楼周辺の胡同の殆どは取り壊されたのであろうか。オリンピック開催のざわめきとともに気がかりではある。最後に6年前のこの地域の写真を紹介します。上から什刹海のほとり、畔に立つ宋慶齢(宋家の三姉妹の次女で孫文の妻)の旧家、梅蘭芳記念館の中の展示、胡同の路地で中国将棋をうつ人々です。
c-21イ十刹海.jpg

e-12宋慶杜齢旧家.jpg

153梅蘭芳記念館.JPG

d-09胡同象棋.jpg


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coach outlet

私は本当にこのウェブサイト、およびより書くことを期待のようなお客様の情報をありがとうございます。
by coach outlet (2011-03-15 11:20) 

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