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いまだ木鶏たりえず [雑感・話題]

  11/15(月)冬場所の二日目、連勝記録を続けていた白鵬が稀勢の里に敗れ、今回の記録は63でストップした。16日の新聞各紙はこぞってこれを伝えたのは言うまでもない。朝日、中日、毎日、読売と目を通したが、朝日の見出しに目が行った。朝日を除くと単純に白鵬の敗戦を伝えるだけであったが、朝日は「白鵬 木鶏たりえず」と言う言葉を用いていた。恥ずかしながらあまり見慣れていない言葉に???となった。ネットで調べるとどうも産経もこの言葉を用いていたようである。
 木鶏という言葉を調べると、中国荘子(達生篇)にある言葉である。闘鶏のための鶏を育てることを命じられた紀悄子と言う人物が、ただ威嚇を示したり、闘争心をむき出しにする状態の鶏では真のチャンピオンとは言えず、木で作った鶏のように何物にも動じない状態を理想として鶏を育てたという故事に由来する。
 さらにあの69連勝記録を持つ昭和の大横綱双葉山が横綱像がこの木鶏であったという。安芸の海に敗れて、連勝記録が69で止まったとき、知り合いに「ワレイマダモッケイタリエズ」と打電したという話が残っている。
 朝日の見出しはそういった故事と、双葉山の逸話を踏まえたものであった。そこまで分かるとこの見出しはなんと趣がある見出しであり、思わず、さすがは朝日、品格があると思った次第。

 ところで「木偶」という言葉をご存知だろうか。あるいは木偶の坊と言ったりもする。これはデクと発音するが、木で作った人形と言う意味から派生して、何も出来ない、役立たずと言う意味に使われる。木鶏にしても木偶にしても木で作ったもので、動かないと言う意味なのだが、一方は理想像とする意味を持ち、一方は目指すべきでない姿としての意味を持つ。このあたりが言葉を使うことの難しさであるが面白さである。鳩山政権を評価する話に(思いつきの)理想に満ちた考えを持っているが、これまでの首相と異なるのは歴史に学んだ考えが出されていないと言う評価をしているのを見たことがある。言葉を使うのは歴史・文化を学んだ上のことだなあと言うことを、この「いまだ木鶏たりえず」という見出しから学んだと言うのは少し大袈裟だろうか。しかし、それゆえに昨今の歴史・文化に則ることなく、ただのムードで平仮名表記にしようと言う動きは腹立たしく感じる昨今でもある。


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