SSブログ

感染列島 [電影]

 社会問題、或いはホットな話題を捉えてアタリを狙う邦画の一つであり余り期待も、観たい気も無かったが、世間では見る人も多かろうという気もあり、「世間に遅れないようにしよう」との思いで観てみました。観ようと思っている人に観るなと説得する気はありませんが、何を観ようかと悩んでいる人がいるとすればその方に観賞を進める気にはなりません。
 この時期、新型インフルエンザがらみの映画を作ればあたるだろうという商業主義が見えみえの映画といえるでしょう。養鶏場で鶏が大量死し、経営者の家に石が投げ込まれる、マスコミが大挙して経営者を取り巻いてインタビューする。これらは避けるべき行為であるが、にも拘らずただワイドショー的に取り上げているだけでむしろこの映画の作者自体がこういった「マスコミ」の一族である事がすぐ分かる。映画の設定がWHO phase3だったのかphase4だったのかの記憶も定かではないが、ある病院で極めて重症の感染症患者が発生する、しかもインフルエンザチェックテストは陰性であった。その病気が人をしに至らせるほどの重症感染症で且つ容易に周囲に感染する能力を持つ。これらのエピソードはそれがインフルエンザでない事を十分に語っているから、鳥インフルエンザのエピソードは不要だし、そのエピソードを入れることにより、「インフルエンザの話?」と思わせるしいたずらに映画の時間を長くしているだけである。重症感染症の話であるから犠牲者が出る。その死亡の場面や、救急処置の場面など事実を述べるだけでなく映像表現する。しかし映像を見ると余りにも実感を伴わず、思わず笑ってしまう。いっそのことオーバーなCGでも使って、ホラー映画みたいにしたほうがいいんじゃないのと思ってしまう。主人公の元彼女で副主人公の女医と、主人公とともに病院で働く看護師も犠牲者にしているが、この犠牲もただお涙頂戴をどうやって獲得するかといった計算から出ただけのストーリーであろう。しかし何か涙が出てこない、なんでだろうと思うがやはり演技が下手なんだろうと思う、ぜんぜん悲しくない。それに犠牲になった看護師など隔離施設となり、家族とも離れ離れとなり、院外に出る事も許されずに働く看護師と一緒に治療に当たっているはずの主人公が東南アジアに飛び出し、感染症の原因を探すたびに出る。これも病院で第一級の重症感染症対策に当たる仕事とはどういうものなの?と口を挟みたくなる。主人公以外の人間を作るべきであり、病院のスタッフは服装も、化粧も含めズタズタ、ふらふらの生活をせざるを得ないように描かないと悲惨さが出ない。廃墟のように描かれた東京の町とのアンバランスも興味をそぐものである。最後にキーワードのようにして用いられる「この世が最後のときリンゴの木を植えてください(余り興味を持ってみてなかったので記憶が少し不正確かもしれません)」という言葉が作品全体にどういう影響を持つのか、synbolic commentを残すのであればもっと効果的に映画全体で用いるべきであろう。ほかの批評にもあったが、お涙頂戴の主人公のラブストーリーも邪魔である。医療処置、臨死の表現の不自然さは述べたがそのほかにも発熱外来とおぼしき画面、地域封鎖の画面ももうひとつrealityに乏しいように思えた。
 という事で余り褒める事はない、ただ世間に感染症は怖いよといった情報を流す価値はある。しかし誤解を伴った知識が広がらない事を祈るのみ
タグ:感染列島

耳障り 「・・・はよかったでしょうか?」 [随想]

最近よく聞く言葉、「・・・はよろしいですか?」「・・・はよかったでしょうか?」これも御客様に失礼の無いように、いつでもどこでも同じ服務を提供しましょうという経営品質の考えに乗っ取って広げられたマニュアルが広げた言い回しであろう。

①商品を買って釣銭を受け取ると「レシートはよかったでしょうか?」
意味はレシートをお渡ししなくてもよいでしょうかの意味であろう。売買においては領収書、レシートを渡すのが普通だから何も言わずに渡そうとするのが売り手の取るべき態度で客が要らないといえば捨てればいいことだが、最近は渡さないのを前提にこのような質問を投げかけているように思う。「要ります」と答えて初めてレシートを渡すが、店員にとっては「渡さないのが常識」といった考えが広がっている事を示しているように思う。ここの「よいでしょうか」と「よかったでしょうか」の違いであるが、国語学的解釈がどうなのかしらないが、前者の時制は現在~未来を示しているだろうし後者は過去~完了の領域にいるように思う。だから後者はレシートをまだ渡してない段階で「あなたの売買行為は完了しました。早く帰ってください」といった響きを感じ取り、不愉快さが強いように思う。
②先日あるファミリーレストランに行った。料金は1025円。
Aさんは1100円を払い75円の釣りをもらった。Bさんはきっちり1025円を支払った。Cさんが2000円を差し出したところ、
店員がのたまう。「30円はよかったでしょうか?」
C 「????」
店員の意図は「2000ですと釣りが975円になりますから、1030円払って釣りを5円にしたほうがいいとは思いますが、釣りを975円渡してもよかったでしょうか?」という「よかったでしょうか?」なのでしょう。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
 おそらくどの言語でもそうであるが、慣用語というのはそのもともとの言い回しからある部分が脱落して完成する形式がある。日本語では「今日は良いお天気ですね」「今日はお元気そうで何よりです」・・・・・・・・・などの定型的言い回しから後者が抜け落ちて「今日は」「こんにちは」といった挨拶用語が出来上がった。近年では「こんにちわ」と表記する人間もいるが言葉の形成過程から言えば間違いという事になる。使われる頻度は少ないが前者が脱落して後者のみが挨拶に用いられる事もある。「ええ天気だんな」「よう降りまんな」「ええ顔色ですな」。「さようなら」も一時代前の言い方は「さようならば・左様ならば」であるという。そしてもっと前は「左様ならば私は帰ります」といった意味であった。
 このような省略形は狭い仲間内で使われ、それに触れた外部のものが新鮮さ・粋・かっこいいなどの共感を得れば徐々に人から人に伝わっていったのであり、「標準語」の前の言語を使っていた地域言語に取り込まれて「標準語」になったのであろう。標準語とは違う意味から転じた挨拶用語は日本国中に残っているであろう。「こんにちは」は関西では「いてまっか?」でも通じるでしょうし、さようならも所変われば「おみょうにち」(宮城)、「おやすみなんしょ」(群馬)、「ごぶれいしました」(熊本)、「んだらまず」(新潟)などさようならとは違う言い回しを基にした挨拶がのこっている。
 こういった言い回しはある特定の地域で時間をかけ熟成され、人々に受け入れられてきた。しかし最初にあげた「・・・はよかったでしょうか?」は(経営品質に取り組む)企業・チェーン店の顧客接待だけを目的に作られたマニュアルを介して店員のみにより日本全国で用いられ客に違和感・反感を生じさせている。熟成の過程とは異なりやや乱暴な広がりである。現在たしなみとして求められる手紙の時候の挨拶や、風呂敷という用語、高島田の髪型などが吉原の遊女街から来たものらしいが、こういった用語・習慣も急速に世俗に入ろうとすれば忌み嫌われたかもしれないが、時間をかけ徐々に受け入れられていったのではないかと思うところである。視点を変えると昔の感染症が人から人へゆっくりと世界に広がっていったが今日的な感染症はひとたび発生すると飛行機に乗ってあっという間に地球の裏側まで広がってしまうのと同じようにおもう。広がり方が早ければ早いほど受け手の対応が間に合わず、言葉の領域では反感、感染症ではパニックを生じさせる。しかも現代の「・・・はよかったでしょうか?」は省略部分が非常に長い、それゆえに受け手から見れば極めて勝手気ままな省略形にうつってしまう。このような勝手な省略形は店員が自宅に帰って市民に戻ったときにも使う事によりウィルスのように市民生活に入ってくる。マニュアル作成に当たる人は「乱れた日本語」と指摘を受けないよう、自己満足的な経営品質改善に取り組まないよう気をつける必要があるように思う。

 先日コンビニの売り上げが初めて百貨店の売り上げを上回ったとのニュースが流れた。不況の中高額商品を扱う百貨店が避けられる一方でタスポ効果で売り上げの伸びたコンビニが好まれたというのが大きな要因のようだが第一生命の行ったアンケートでは接客に対して最も満足度の高いのは百貨店で低いのはコンビにであるとの調査もある。コンビニエンスストアの接客戦略はもっと自然体で行うよう考える時期にきている。


私は貝になりたい [電影]

081224_18.jpg 

 はじめてこの映画の題名をきいたとき、as happy as clamのphraseが浮かんできて幸せな生活を希求して一生懸命生きるストーリーの映画かなと思ったが、少し調べて全く違う事がわかった。
 1958年にフランキー堺主演のドラマとして放映され日本中を感動の渦に引き込んだらしく、1959年には同じくフランキー堺主演で映画化されている。その後2008年にも映画化されている。また原作者である加藤哲郎の話としてのドラマが昨年公開の赤壁の孫権軍の隊長である甘興を演じた中村獅道が主役を演じるドラマとして2007年にドラマ化されている。フランキー堺のドラマはまだテレビが一般に普及していない頃であるし、映画に触れる年頃でもなかったので見たことはないし、2007年のドラマは近年テレビを見る機会が殆ど無くなったこともあり、見るわけも無い。したがってこの映画の題名は新鮮なものであった。
 昨年は黒澤映画の七人の侍、隠し砦の三悪人がremakeされるなど名作をもう一度現代の技術で作り直そうという気運の高い日本映画界であるが、「私は貝になりたい」もまた日本のドラマ・映画史上の代表作といってもいい話でありremakeの運びに成ったものと思う。このお話は東京裁判を描いたもののひとつである。2008年11月12日は所謂A級戦犯に判決が下されて丁度60年の節目にあたる。そういったこともremakeをおこなう推進力になったのかもしれない。また最初の作品がつくられた1958年は巣鴨拘置所が閉鎖された年であり、聖徳太子の一万円札、特急こだまが生まれ、東京タワーが完成した年である。そういった着々と「戦後」に別れを告げようと走り出した日本の世相の中で戦後処理として行われた東京裁判の問題を提起する存在として誕生した映画であることを覚えておきたいと思う。
 名作という事で多少のネタばれも許されるだろう。二次大戦の末期主人公豊松に赤紙が届き内地で入隊する事になる。初年兵ということで上官から厳しい訓練を受ける。主人公はどちらかというと出来の悪い初年兵であった。このことが後々災いを招く。大阪大空襲の日、対空砲火で一機を撃墜し主人公らは米兵の捜索に山に向かう。米兵を発見し現地の隊長が磔のうえ処分するという。その役として出来の悪い二人の初年兵が選ばれ銃剣で突くよう命じられた。しかし出来の悪い豊松は腕をかすっただけで突き殺す事は出来なかったが米兵はやがて体力が尽き世を去る。時は移り、敗戦日本の政治は連合軍が仕切っていた。鬼畜米英と叫んでいた庶民も米軍の民主政治の下、民衆を騙して戦争に駆り立てたwar criminal VS innocent citizen の構図が出来上がっていた。主人公も家に帰り妻・子とともに理容業を営み東京裁判の話題などで辛かった戦争時代を話していた。そこにMPがやってきて、豊松は戦争犯罪人として逮捕されてしまう。つい先ほどまでcitizenの位置にいた豊松だが、突然に人民の敵であるwar criminalになってしまう。豊松はB,C級の裁判で前述の捕虜虐待の罪が重いとして絞首刑の判決を受けてしまう。価値観の違いと言うか戦争中は上官の命令は天皇陛下の命令で、上官に逆らえば逆賊として天誅が下るという考えから、捕虜虐待致死は重罪という価値観への大変換である。裁判で天皇を頂とする軍人としての価値観を話すと裁判官らに大笑いされるところがその価値観の違いをクローズアップされる。人間としての豊松の道徳観でも捕虜を殺してないからには絞首刑には値しないと思うのであった。かくして自らの判決は不当で死んでも死にきれないと思い悩む豊松であった。人の世の不合理性に、貝になり人と隔絶して過ごしたいと言う思いに辿りつくわけである。
 戦争はいろいろな不幸を連れてくる。だれでもすぐ思いつくのは戦死であるが、近代戦争は銃後にも多大な被害をもたらす。日本で言えば空襲、原子爆弾投下、米軍沖縄上陸作戦に伴う死亡などすぐに思いつくであろうし、大陸で関東軍を中心に行ったとされる種々の虐殺、731部隊の実験などもある。そういった被害者は戦闘員ではないが、「敵」に殺されたとの思いで死んでいったと分類してもよいと思う。しかし政治犯として獄中で死に至った人々や、沖縄では日本陸軍に殺された人々もいた事が知られている。彼らは「何故」、「敵」でもないものに命を奪われる必要があるのか、こころの整理が付かない死に方であると思う。豊松にとっても「絞首刑」の判決は自分の気持ちに整理の付けようが無い判決であった。この映画は心の整理の付かない「絞首刑」を背負った一人の男に焦点を当てた話であるが、戦争と言うのは数多の「なんで死ななあかんのやねん」をうみだしてしまうものである。この映画は日本軍が悪かった、戦後の連合軍政府の運営が杜撰だったとかいうものではないが、戦争というものの内包する残酷な運命を一人の市民に当て続けて描くことにより、その運命が誰にでも訪れうるものであると実感させ、反戦の誓いを新たにするには非常にいい作品であると思った。「楽映画批評」という映画コラムを担当する映画ライター町田敦夫氏は、主人公が「家族や、子供の心配などしなくていいように貝になりたい」と語ったところをとらえて、この言葉で作品の価値が大きく下がった、観客はこの言葉に非難を浴びせるだろう、と書いている。人間としての愛を訴えたいのであろうが、常に腹を切ることと隣り合わせで生活し、死そのものが美化されていた侍の社会の話ではないので、そこまで要求するのは現代劇の主人公には酷なのではないか。確かに現代人が大好きな「愛」のある言葉ではないが、逆にそれだけ虚飾に満ち溢れた人間社会というものに絶望的になった主人公の心を描く効果があってよいように私は思ったがどうだろう。
 非常に重い作品だった。上映が終了し映画館を去る私の足取りは重く心は沈んでいた。足取りの回復には映画館の隣の食堂で食事を終えるのを待つ必要があった。

 しかしヒトがいいのか貝がいいのかよくわからない。昨年末から続く不景気の影響で派遣村に寄り添う人々のいる中で、自暴自棄になり自ら命を絶つ人もいるのだろうが、エネルギーが外に向かっていき、無差別な暴力事件が起こったり、関西ではタクシー運転手を狙う事件が頻発している。そういう人たちにこの映画を見てくれというのは難しいのかもしれないが、ぜひ観てもらい今ある命の大切さというものを感じてもらいたいと思う次第。


韓国にもMOTTAINAI [随想]

 今年も押し詰まってきた。今年の出来事で出皆それぞれに衝撃を受けた事件のひとつに五月の船場吉兆事件があろうかと思う。客に出した料理のあまりものを「MOTTAINAI」と判断、別の客に出していたというものである。使い回しをしても食品衛生上の問題がなければ法に触れるものではないが、現代の日本人の「衛生」意識からはとんでもない事との思いが強く、他の食品衛生法違反などもあって船場吉兆は廃業に追い込まれた。
 この事件吉兆たたきに終始したが、日本人の食生活はどうなの?といった議論は深まらなかった。金さえ出せば残すのは自由だとばかりに食材は残し放題、それでいて食料自給率は40%、もっと消費者たたきもあってしかるべき問題でもあった。しかし、消費者たる多くの国民は自らをたたく事はしなかった。また、職人(板前さん)が精魂かけて作った食材を残すというのも、職人に失礼だとも思う。よくテレビに出てくるバカな芸人の作る不味い料理でない以上は食べるべきだろう。バカな芸人の作る料理も食べないと「MOTTAINAI」ではないかという意見も出るかもしれないが、彼らはもっと料理を勉強すべきで、そうでないと食材に失礼というものである。不味くても自分で食べるぶんにはかまわないが、人に食べさせようと考える事は差し控えるべきであろう。

 食材の使いまわしの話題が、お隣韓国からも飛び込んできた。(
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20081222-OYT1T00604.htm)なんでも韓国ではバンチャンと呼ばれる副菜が使い回しをされているらしい。その規模は有名なところも含めた飲食店の八割に及ぶ店がやっているとのことで、吉兆たたきのような事件にはなり得ない。最も近い外国であり、今度の金融危機で大きくウォン安になり韓国に行く人も増えたというから身に覚えのある方も多いのではないか。私は韓国には行った事はないが、バンチャンは副菜という事で日本で言えば、食事についてくる漬物や、カレー屋の福神漬け・ラッキョウ、ラーメン屋の韮・生姜、うどん屋の天かすの類の発展系のものなのだろう。サービス品(無料・ただ)という事も在り、残す人も多いらしい。そこで店としては「MOTTAINAI」精神が働く。日本ではしょうゆ、ソースなどと同様on demandの材料として「使いまわし」を行って処理しているが、韓国では個人の食として提供しているところが違うが、店にとっては日本のてんかすの類と同じなのだろう。高級店ではバンチャンを注文性にするところも出てきているというが一般庶民感覚ではただで当たり前という文化があって、再利用禁止を食品衛生法施行令で制限しようとする保健福祉家族省に対し、飲食店業界からの反発は強いという。ならばファミリーレストランで見られるサラダバーのように「バンチャンバー」を作ってはどうかと思ったりもするが、食文化の違う国の事、私の思いはピンボケなのかもしれない。
 しかし使い回しが判明して平謝りの吉兆と、当然のことと考える韓国飲食店業界、隣国ながら似て非なるものとの感いが強い。Korea吉兆があたるかもしれない。この事実に対して韓国の消費者の苦言も増えてきているというが、やはり食の文化の違いなのだろう。以前にも日中食文化考 食べつくす文化と食べ残す文化という記事を書いたが、日本人の場合自分の分は食べ尽くす文化(最近はたくさん残す人もいる事は問題ではある)であるが、韓国もどちらかというと中国のように集団で食べ、食べ残す文化なのかと思ったりする。

>>>>>>>>>>>>>>>
記事
韓国公然の秘密「残飯使い回し」罰則適用へ、業界は反発も

 【ソウル=前田泰広】残飯を使い回して他の客に出すことが半ば「公然の秘密」となっている韓国の飲食店に対し、韓国政府は店舗閉鎖を含む厳しい措置を取る方針を決めた。
 2009年上半期までに食品衛生法施行令を改正する予定で、保健福祉家族省は「誤った食文化、悪習を改革する」と意気込んでいる。
 残飯使い回しの実態は韓国のテレビ各局で08年8~9月に相次いで放映された。公共放送KBSの独自調査では、80%の飲食店が使い回しをしていた。消費者の苦情が同省に寄せられるようになり、新措置導入の検討が始まったという。

 改正案では、初めて使い回しが発覚した店に営業停止1か月、2回目なら同3か月、3回目には店舗閉鎖と段階的に罰則を厳しくする。政府の動きに呼応して、ソウル市内の一部の飲食店では、食べ残しを客の前で専用容器に回収する取り組みも始まった。
 食べ残しが多い理由のひとつが、「パンチャン」と呼ばれるおかずが必要以上に食卓に並ぶことだ。パンチャンはキムチや魚の煮付けなど店によって違うが、客が食事を注文すると何種類かがサービスで提供される。同省によると、量が少ないと「ケチな店」と思われる風潮がある。このため、店がパンチャンを多めに出し、食べ残しを別の客にも使う悪循環が起きているという。
 ソウル市内でも高級飲食店などが集まる江南区は、パンチャンを注文制にして、客が食べたいものを必要な量だけ自分で選ぶ仕組みを導入するよう区内の店に呼びかけている。

 だが、呼びかけに応じたのは「区内5000店舗のうち約10店舗」(区担当者)。同省によると、今回の施行令改正に対しても飲食店の業界団体は、「客が減る」「処分が重すぎる」と反発しているという。
 同省は「残飯はゴミだと考え、残飯を減らす方法を考えてほしい」と、飲食業者に従来の発想を変えるよう要求。消費者に対しても「量が多ければ良いのではなく、きれいな食べ物が良いという認識を持ってほしい」と注文している。

 韓国ではソウル五輪開催決定後の1983年、「衛生的な食べ物」を実現しようとパンチャンを個別に注文する制度を導入した。しかし、パンチャンに料金を払うことに消費者が反発。罰則がなく、飲食店も制度を守らなかったため、制度が形骸化した経緯がある。今回も、飲食店の意識や消費者の関心を喚起できるかが、新措置の成否のカギを握りそうだ。

(2008年12月22日19時36分  読売新聞)


冬至の頃 [雑感・話題]

ずっともっと2_012節季.jpg12/21(日)は冬至にあたる。二十四節季のひとつで一番昼間の短い日である。日のでは七時過ぎ、日の入りは五時前であり人によっては暗い時間に家を出て仕事を終えるともう暗いという人もいる。しかし、冬至を過ぎると徐々に昼間の時間が長くなる。元旦の日の出は冬至よりも四分ほど遅いが、日の入りは七分ほど遅くなる。「冬至十日であほでもわかる」という言葉もある。冬至を過ぎて十日も経てばどんな鈍感な人間でも季節が変わった事を実感するという意味であるが、私たちはこの季節の変化を夕方の明るさで感じるようだ。冬至を過ぎるとどこか転換点を過ぎたという気持ちから少し心が軽くなる。しかし寒さはこれからが本番で小寒、大寒とすすむ。春の待ち遠しい季節である。

中国での冬至に関する習慣に数九というものがある。北京大学対外漢語教学中心出版の漢語口語というものを元に日本からは国書刊行会が留学生のための中国語会話中級 下という教科書を出している。その中に節季を語るという話があり、当時のことを書いてある。今日はそれを転載する。

第十四课 谈节季

惠  子:好热呀!
王老师:冷在三九,热在中伏嘛!伏天儿哪儿有不热的!
惠  子:什么叫伏天儿呢?
王老师:伏天儿就是一年当中最热的时候。
惠  子:那为什么又说热在中伏呢?
王老师:我们把一年分成二十四个节气,夏至是一年当中最长的一天,过夏至个把月就到伏天儿了。十天一伏,分初伏,中伏和末伏。一年当中中伏天最热,伏天里中伏最热,所以我们常说热在中伏。今天是中伏第五天。
惠  子:噢!怪不得这么热呢。
王老师:再过几天就立秋了,一立秋就热不到哪儿去了。
惠  子:那敢情好。
王老师:你这么怕热,不怕冷吧?
惠  子:我又怕热,又怕冷。您刚才说冷在三九,三九又怎么个冷法呢?
王老师:刚才不是说到夏至吗?夏至是一年当中最长的一天,冬至是一年当中最短的一天。
惠  子:哪一天是冬至?
王老师:今年是十二月二十二日。冬至那天就倒数九了,九天一“九”,一共九个“九”。每个“九”还都有说到儿呢!
惠  子:您快给我说说!
王老师:一九,二九不出手。
惠  子:什么叫不出手哇?
王老师:冷啊!一九和二九的时候,天气很冷,人们联手都不想往外伸。
惠  子:三九,四九呢?
王老师:三九,四九冰上走。三九,四九的时候冰天雪地,要不怎么说“冷在三九”呢?
惠  子:还有五个“九”呢?
王老师:五九,六九,抬头看柳,七九河开,八九雁来。九九加一九,耕牛遍地走。
惠  子:柳树发芽儿,大雁飞来,春天到了。
王老师:你算算九九加一九到什么时候了!
惠  子:好,我算算。是三月二十二日。
王老师:俗话说“清明前后,种瓜点豆”,到了三月下旬,春暖花开,农民开始播种,耕牛就遍地走了。
惠  子:看来节气和农业生产的关系还挺密切呀!
王老师:可不是。到什么节气种什么庄稼,农民心里都有数儿。
惠  子:什么时候种白菜呀?
王老师:头伏萝卜二伏菜嘛!
惠  子:小麦什么时候种呢?
王老师:白露早,寒露迟,秋分种麦正当时。种早了不行,种晚了也不行,节气不饶人哪!
惠  子:您真会讲,一套一套的。
王老师:哪里,比起农民来还差远着呢!赶明儿咱们请一位农民讲讲。
惠  子:好吧

日文

季節を語る

恵  子: 暑いわね
王先生: 三九の頃は寒く、中伏の頃が暑いというからね。伏天の時節に暑くない事はありえない。
恵  子: なぜ伏天とよぶのですか。
王先生: 伏天は一年で最も暑い時節です。
恵  子: でもなんで中伏の頃が暑いのですか?
王先生: 私たちは一年を24の節季に分けています。夏至は一年でもっとも(昼間の)長いときです。夏至のころを過ぎると伏天がやってきます。十日間を一伏とし初伏、中伏、末伏に分けます。一年で一番暑い時期が伏天で中伏が最も暑いです。それで私たちは中伏が最も暑いといいます。今日は中伏の五日目です。
恵  子: それでこんなに暑いのですね。
王先生: もう数日もすると立秋です。立秋になると暑さはどこかになくなってしまいます。
恵  子: それは願ってもないことです。
王先生: あなたはこんなに暑さに弱いようですが、寒いのはどうですか?
恵  子: わたしは熱さにも寒さにも弱いです。先ほど三九の頃は寒いとおっしゃいましたが、三九はどんな寒さですか?
王先生: 先ほどは夏至まで話をしましたね。夏至は一年でもっとも(昼の)長い一日ですが、冬至はもっとも短い日です。
恵  子: 冬至はいつですか?
王先生: 今年は12月22日です。冬至の日から九の数を数えます、九日をひとつの“九”として、全部で九つの“九”があります。それぞれの“九”には全ていわれがあります。
恵  子: 早く教えてください
王先生: 一九、二九は手が出せません
恵  子: 何故手が出ないというのですか?
王先生: 寒いんですよ。一九、二九の頃はとても寒くて、手さえ外に出したくないと思います。
恵  子: 三九、四九はどうですか?
王先生: 三九、四九は氷の上を歩きます。三九、四九の頃は雪と氷の世界で三九の頃は寒いといいますよ。
恵  子: そして五つ目の“九”はどうですか?
王先生: 五九、六九には柳が芽を吹き、七九には川の氷が緩み、八九には雁が飛んできます。九九にもうひとつの九を加えた頃牛が田を耕し始めます。
恵  子: 柳が芽を吹き、大雁が飛んでくる、春ですね。
王先生: 九九にもうひとつの九を加えた頃はいつか、数えてみてください。
恵  子: ええ、やってみます。えっと三月二十二日ですね。
王先生: 「清明節(おおよそ4月5日頃)の前後に瓜や、豆をまく」といういわれがあります。三月も下旬になると春の暖かさがやってきて花もほころび、農民は種蒔きを始めるし、牛は畑を耕します。
恵  子: 節季と農業は密接な関係があるようですね。
王先生: そうですとも。どのような季節になったら何を植えるか、農民の頭の中にはちゃんと入ってます。
恵  子: 白菜を植えるのはいつごろですか?
一伏に人参を植え、二伏に菜を植えます。
恵  子: 小麦はいつ植えますか?
王先生: 白露(9月7日ごろ)では早いですし、寒露(10月8日ごろ)では遅いです。秋分の頃が最も適した頃です。早すぎてもいけないし、遅くてもいけません。節季は人を待ちません。
恵  子: あなたは本当に物知りですね。
王先生: そんな事ありません。農民の足元にも及びませんよ。いつかどこかの農民に話をうかがいましょう。
恵  子: いいですね。

>>>>>>>>>>>

DSC06649c2.jpg冬至を過ぎても春はまだ遠い。一日一日待っていると疲れる。九日をひとつの単位として一つ目、二つ目と数えると少し楽なのではないだろうか。いずれにしてもインフルエンザもこれからが本番、まだまだ気が抜けない。

しかしこの季節空気が非常に澄んで景色が目に鮮やかである。外は寒いが思い切って外に出ると、夏と違って美しい自然の姿にはっとする事がある。


タグ:冬至 数九
nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

赤壁 Red Cliff PartⅠ [電影]

赤壁 Red Cliff  PartⅠ 2008米・中・日・台・韓/abex・東宝東和

 アジア映画史上最大規模となる製作費100億円を投じた歴史スペクタクル。広州生まれだが、主としてハリウッドで活躍するジョン・ウーが監督する。「三国志」の“赤壁の戦い”を基にした壮大な愛と戦いのドラマである。三国志は西遊記・水滸伝・金瓶梅・紅楼夢とともに中国五大小説と呼ばれる有名な物語で、日本でも大変人気があり、吉川英治、北方謙三、宮城谷昌光などの書物があるし、鉄人28号の横山光輝も漫画を描いている。またちろりん村とくるみの木やひょっこりひょうたん島を排出したNHKの人形ドラマでもたしか放送していたと思う。しかしわたしは何れの作品でも三国志を味わった事がないので実はよく知らない。単純に歴史スペクタクル映画として鑑賞した。
 ストーリーを書くとまだ見てない人にはネタばれにもなるし、すでに物語を知っている人には説明のいらないことであろう。いずれにしても飛ぶ鳥を落とす勢いの魏:曹操群に対し、数で圧倒的に劣る蜀:劉備、呉:孫権連合軍が人の道を守るという一点で命を賭して戦った赤壁の戦いを描いたものである。圧倒的な敵に相対する小さな部隊の戦いという意味では、スケールの大小はあれ日本における義経のヒヨドリ越え・屋島の合戦、楠正成の千早城籠城、織田信長の桶狭間、冬の陣の真田雪村などの気分爽快な戦いに相通じるものがあると思う。それを巨額の費用を用いたセット、スタッフ、コンピューター映像などを駆使して書き上げた壮大な物語である。だから、三国志という物語をよく知っている人にとっては本と違う、あまりにも娯楽的だ云々の批判はあるやに聞く。ただわたしは三国志を知らない。かつてのハリウッド映画が持っていた壮大なドラマとして楽しんだ。
 三国志で最も親しみをもたれているのは桃園の誓いを契機に義兄弟の契りを結んだ劉備・関羽・張飛であるが、この映画に関しては劉備の軍事参謀である孔明(金城武)、孫権の参謀の周瑜(トニーレオン:梁朝偉)の二人が主人公で、風林火山を山本勘助を中心に描いたような話と考えればいいのだろう。その他の人物として注目は周瑜の妻、小喬である。歴史的には曹操が蜀・呉を攻めたのは中国統一の為であったが、この映画の複線としては若い頃会ったことのある美貌の小喬を周瑜から奪う事が目的のようにも設定されている。進軍中、曹操に連れ添い世話をする女官に対して“小喬”と呼び、自分の名前を覚えようともしない曹操の態度に悲嘆な思いを持つのである。この小喬を演ずるのが台湾のトップモデル、リンチーリン(林志玲)で映画初出演だが堂に入っている。PartⅠでの露出は少なかったが、予告編で見る限りPaartⅡではかなり重要な役割を果たすことになりそうである。また日本人として中村獅堂も出演している。PartⅠの最も圧巻なシーンは合戦シーンであるが、八卦の陣という、当時でもややout of dateな陣を引いた連合軍に対して曹操軍の騎馬隊が突入していく場面、とてもスピーディに騎馬隊を取り組んでいく、見事な作戦だった。見ながら、今年の北京五輪の閉会式、緊張感も取れた選手が自由に行進をする中で行進の終わる頃にはきっちりと定位置に押し込めて、後に続くセレモニーの場所をしっかり確保していた展開を思い出していた。五輪は張芸謀監督のプロデュースであるが、こういった展開も中国映画の特徴かと思った。戦闘は騎馬戦が中心で戦士と戦士の近い位置での戦いが描かれる、まるでちゃんばら映画のような描き方である。そのリズミカルな戦闘は七人の侍や隠し砦の三悪人を描いた元気な黒澤映画を髣髴とさせるものであった。

redcliff_wp3_l.jpg八卦の陣
 PartⅡは来年4月の公開、いよいよ両軍の正面衝突が描かれる。人の道に反するという事で始まった戦闘、展開のきびきびした“ちゃんばら”ドラマ、公開が待たれる。


タグ:赤壁 Red Cliff

病院用語言い換え 序論 [随想]

 市内の食堂にて、テレビを見ていると円高で不況にも拘らず海外旅行が人気だという話をしていた。なんでもこの夏三割減となった旅行客が、円高、燃料安の影響で昨年比四割増の盛況だという。燃料サーチャージは例えば韓国では8000円が5000円にまで下がったと言っていた。隣で客の話し声がする。
「5000円で韓国行けるんやて、安いなあ」
「あんた、これは旅行代金と違うよ。何とかサージというやつや」
「えっ、あっまた別のもん?」
聞く人によってはまあ理解してると思う人もいるが、別の人が聴いたら言葉を正しく理解してないと受け取る人もいる。まあいずれにしても世の中にあふれる言葉の全てを理解している人はなく、それぞれ得意分野と不得意分野があるのは致し方ない。
 国語研究所が病院の言葉をわかりやすくする提案という事業を行っている。その意図は医療関係の言葉を正しく理解していない人が多く、患者側にとっては不満のもととなり、病院などにとっては説明しても理解してないことから時に訴訟にリスクにもつながるということで共通理解を促す必要があるとの事から検討を始めたとのことである。目的は崇高ですばらしい事だと思う。しかし、一般庶民を一把一絡げにして考える事が出来ないという先の例を考えると、各論的にはなかなか難しいわなというのが感想である。いずれにしても10/21中間報告が出された。わかりやすくするための食うとして、わからない原因を①患者がその言葉を知らない②理解が不確か③患者に心理的不安があると分類している。①②に関しては日常語で言い換えたり、明確な説明を加えたりしていく事が求められている。ただ、このことは改めて言われなくても医療者が常々感じている事であり、現場では患者の知的レベル等も考慮しながらそれぞれ工夫している事であり、いまさら言われなくてもという感が否めないのではないか。それともいまだに患者を無視して専門用語でしか説明しない医療者がいるのであろうか。ただ、いくら噛み砕いてもなかなか理解してないなという人がいることもまた事実である。先日ノーベル物理学賞を日本人が取りその業績を新聞などで噛み砕いて説明していたが人々の理解の差はおそらく極めて大であろう。ただ「病院の言葉」委員会の委員の先生も書いているように、これは決してマニュアルではないという事で、日々説明に苦労している医療者の患者との共通理解の一助とするためのものという理解でとらえたいと思う。
 現代は社会が細分化され、その領域の専門用語、術語というものが広範にある。それを全て理解するのは無理である。なぜならそのベースにある概念から理解する必要があるからである。私などは法律用語や、裁判用語など何故もっと日常的な言葉で言い換えないかと常々思っているのだが、どうも皆法曹界には意見しにくいようである。こんなところが新しい裁判員制度に庶民が二の足を踏む原因のひとつにもなっているように思うがどうであろう。
 物事を単純に、共通のフォーマットで説明する事は全体の理解のレベルを上げるには意味がある。そして世の中はマニュアル全盛である。しかし、マニュアル化することで却って、微妙な意味のコミュニケーションが阻害されるといった弊害も指摘されている。小泉政権はわかりやすく単純な言葉で政策を訴え、小泉劇場ともいわれ一見わかりやすく、世論の支持絶大であった。しかし、今その共通理解が砂上の楼閣であった事は皆思っていることであろう。わかりやすくすることも大切だが、多様な言葉の氾濫する現代に生きているという事からわたしたちは逃れられない。必要な言葉は進んで学ぶ姿勢も必要であろう(勿論巷にあふれるKYとか、いまうなどの不必要な言葉は切り捨てればいい)。
 どうも硬い内容になりそうだ。それに各論を書くと長くなる。今日は序論という事でまた日を改めて、頭をまとめ各論を考えてみる。

自動車運転における責任能力 [雑感・話題]

 081109朝日_交通事故 無呼吸症候群を理由に無罪memo.JPG  本年11月9日の朝日の記事である。気に留めた人も留めなかった人もあろう、交通事故被害者の家族がその加害者に罪があるものと信じていたが、加害者が睡眠時無呼吸症候群(SAS:Sleep Apnea Syndorome)であったために人をはねた行為に関しては無罪との判決が下りた事を報じている。被害当事者から言えば赤枠で囲った如く「うちの子は何も悪い事をしてないのに、その子を死に至らしめた人が無罪というのはまったく理解できない」というのはよく理解できる。近年SASの人が日中に突然抗し難い眠気に襲われる事はよく知られてきており、たとえ事故を起こしても責任能力はないという判断が司法にあることを示した判決といえる。なお検察は判決を不服として15日控訴を決めている。
 責任能力を問われない事でよく知られるのは精神錯乱状態でschizophreniaが代表的、判例があるかどうか走らないが、麻薬・覚せい剤の影響下なども責任能力は問えないという事になるのかもしれない。正常な運転を行う能力はないことはわかっているが、飲酒をし酩酊状態で酩酊状態で事故を起こした場合はどうなるか?安全運転を行うことが出来ない状態であることは同じであってもこちらはとても強い処罰が待っている。酒の場合は「酩酊になる前に飲んで運転するという行為が正しいかどうか前もって判断しておけ!」というのが道路交通法の考えのようだ。ただ、道路交通法以外の犯罪では酒も他の薬物・麻薬同様異常酩酊に陥っていれば責任能力は問えないという事になっているそうである。このあたりに一般刑事と道路交通法の罰の間に整合性が無いように思うのであるが、どう考えたらいいのだろうか?
 道路交通法に話を戻そう。飲酒と同様に考えるなら、麻薬も覚せい剤も酩酊(急性中毒)になる前には責任能力をなくす事は周知の事実であり、飲酒同様強い処罰で望むべきではないか。これに対して「私は麻薬をやったら酩酊になるとは知らなかった」とか「啓発が十分でない」という人間がいるかもしれないが、これは大いなる甘えであると思う。社会はこんな当たり前のことを知らなかったという人の面倒までみる必要があるのかと思う次第。それと同様に裁判所がSASだから責任能力は問えないという判断をするのであれば、社会防衛としては運転に障害を与えるかもしれない重度のSAS患者は運転免許の欠格条項に入れる必要があるのではないだろうか。それを放置していたら今回の豊橋の悲劇は繰り返される事になる。現実には欠格条項には入ってないので現実で考えるとどうなるだろう。運転免許証とは「公道を運転する許可を与える」という意味で運転の責任は当人に帰されるという話を聞いたことがある。もし自分がSASであることを知ったうえで運転し、その症状のために事故を起こしたとしたら、前述の酒を飲んだら運転能力が低下すると知っていて飲酒運転をし事故を起こしたという事と同じように罪深いと思うのだがどうなんだろう。

難聴マーク.jpg 欠格条項といえば癲癇患者はかつて運転免許の欠格条項であったが、2002年の道路交通法改正で発作消失が続いている、発作が夜間睡眠中などに限定され運転中は起こらないと推定されるなど特殊な条件付で癲癇患者にも免許が出されるようになっている。また2008年の改正では高度難聴者にも条件付で免許が公布されるようになった。今後、この障害による事故が生じたときまた責任能力が議論される事になるのであろう。ちなみに聴覚障害者の運転の条件として車の前後に青地に黄色の蝶のマークが張られる事になっているので、見かけたときはクラクションを鳴らしても意味はないとかいうことをわかった上で運転する必要がある。
 日本の刑法判決は責任能力といった被害者にとって何の関係のないところでの議論が多い。そんな矛盾に気づき犯罪被害者の会を作った岡村勲さん自身弁護士をしていて自分が被害者家族になってその矛盾に気づいたというが、責任能力とは別の判断基準も導入して考える必要があるように思うしだいである。一般刑法にもいろいろ思うことはあるが、きちんと整理して話す能力もないし、だらだら長くなるだろうし今日のつぶやきはここまでにしよう。ただ、我々は責任能力を問われない人々と共存しているという自覚を持って、人に気を許すことなく緊張感を持って生活しなければいけないということだけは事実だろう。


今日から冬 [随想]

 昨日11/7は立冬、ちょうど当時と秋分の中間点で暦の上からは冬になる。しかし昨日は全国的にやや暖かめであった。昨日通った低気圧の後ろに寒気が入り今日から冬らしくなるという。例年季節の変わり目には北と南の気候の違いに日本も広いといった内容のニュースが見られるが今年もそんなニュースにあふれた。

 北では大雪山系黒岳で積雪1mとなりゲレンデがオープンし、冬本番といったニュースがあった。スキーといえば六甲山系でも人工スキー場の準備が始まったとあった。しかし、北海道とはいえ各地はまだ氷点下に達しなかった。

東北地方は紅葉も落ち始めいよいよ秋が深まったといったニュースがあり、大根の寒干し、京都千枚漬漬け込み、彦根城松のこも巻き、米子のラッセル車試運転、北京の集中暖房施設試運転など冬本番を前にその準備作業が始まった事を報じるニュースが多い。

落葉とは言いながら、関西地方では今年は例年になく紅葉がおそいという。大体この50年の間で時期が2週間くらい遅くなったという事で、関西の今年の紅葉の見ごろは概ね今月中旬以降ということらしい。俳句の冬の季語「冬紅葉」はまだ青い木々を前に使うと風流が失われるといった影響も出ているそうな。

沖縄地方はまた特異な存在で張り出した太平洋高気圧の影響下にあって昨日も気温が30度を越え、「真夏日」を記録。なんでも21年振りとのことで、まだ浜辺で海水浴を楽しむ人々もいるとのことである。

概して言えば暦の上では冬といいながら、沖縄地方を除けば心も身体も生活も冬本番に備える頃という事か。この日日本の最高気温は那覇、南大東島などの30.8度、最低は旭川の3.5度であった。

081107各地の気温.jpg


タグ:立冬

Qちゃん、君の泪に乾杯 [随想]

 081028「完全燃焼し、さわやか」 Qちゃん、涙こらえきれず1.jpg

www.asahi.comより 

 08,10.28夜、さびしさを感じるがさわやかな衝撃が走った。マラソンランナー高橋尚子選手の引退表明である。2000年9月シドニーオリンピックを圧倒的な強さで優勝、2001年9月ベルリンマラソンで2時間19分46秒の世界新記録(当時)で優勝など向かうところ敵無しの状態が続いた。次のオリンピックでの連覇も期待されたが、肋骨骨折などもあり、なかなか代表の座を射止められない日が続いた。最後のチャンスの東京国際でも二位に終わり泪を呑む。ぱっとした成績が見られない日が続く中、2008年のオリンピックにも挑戦し20083月9日の名古屋国際マラソンにかけたが27位に終わった。彼女自身、自分の能力の低下は最もわかっていたのでせめて北京五輪を自分の最後のレースにしたいという気持ちもあって最後の代表選考会、しかもシドニー代表権をつかんだ思い出の名古屋国際マラソンにかけたが、夢と散ったのではなかろうか。ベルリンマラソン当時コーチの小出さんをして、この子は15分台も可能だと言わしめたが、結局ベルリンがピークだった。プロとしての自覚で、プロの走りが出来ないそれが彼女を引退の決意をさせるにいたった。プロとしてチーム高橋を率いて活動してきたが、プロとしての成績が残せない事でチームメンバーの士気や今後を考えての引退表明と思う。
  記者会見の様子は見なかったが、ネットのニュースを見る限り残念な気持ちを持ちつつも自分の全てをぶつけてマラソンに取り組んだ十数年におそらく悔いはないのだろうが、時とともに身体能力の落ちていく現実、これまで彼女を支援してきてくれた人々、うれしかった事、辛かった事などが一気に思い出されてきて自然と泪が落ちた事だろう。しかしその泪は周りのものにとってはとてもさわやかな印象を与えたに違いないと思う。
 シドニーに行くときも日本最強とみんな思っていたが、なかなか日本代表に選ばれず(代表選考会に参加せず)、地元開催となる最後の名古屋国際に出て代表の座を射止めた。周りをはらはらさせつつもきっちりと結果を出す、それがみんなの共感を得ていった。スパートしたときの強さも魅力だったし、シドニーではそのときのサングラスを投げ捨てる動作も話題になった。今年はノーベル賞の話題が世間を賑わしたが、あの当時も小柴昌俊教授がノーベル賞を取り、その親戚だという事も話題になった。何より印象に残ったのは優勝のゴールに入るや喜ぶまもなく小出コーチを探した様子と優勝後のインタビューでマラソンを走る事はわくわくどきどきするくらい楽しいと語ったコメントだったろう。

Qちゃんお疲れ様
君の瞳に乾杯
君の泪に乾杯

君は誰よりも速かった
それでいて走る事を楽しんでいた
みんなには知る喜びを伝えていた

でも明日から君のレースを見ることはない
でもみんなは知っている
君がずっと走り続ける事を

何故って?
それは簡単
走る事は楽しい事だから

みんな知っている
君が21世紀最初の最強ランナーだった事を
君が力の限り走り続けたことを

君の泪に乾杯


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。